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中央銀行の自己資本比率論=数字自体は結果論ではないのか
 5月4日のエントリーに対する「Seignorageさん」のコメントで、日銀の自己資本比率の話題が出たので、さっそくながら取り上げてみたい。結論として私が思うのは、タイトルに掲げたように、何%とかいう数字はあくまでも結果的にそうなったものであり、日銀資産の健全性を決定的に左右する指標ではないような気がする。もちろん、世間的には「自己資本比率」は健全性を表す一つの指標との認識が浸透しているのは事実で、日銀として気にしないよりは気にした方がいいとは思うが、しょせんはその程度で、強くこだわる必要はないのではないか。
 管理通貨制度における通貨の信用は、金本位制のように確固たる裏づけはなく、まさに中央銀行に対する信認が通貨価値を裏付ける。やや極論だが、日銀に対する信認が確固たるものであれば、自己資本比率などどうでもいいのではかろうか。人々は日々お金を使うとき、日銀の自己資本比率を気にしているのか。そうではないだろう。ここで具体例を挙げると、かつてブンデスバンクは為替変動の影響で外貨資産に多額の含み損が発生し、一時債務超過になったことがあるやに聞く。では、それでドイツ国民はマルクを見限ったのか、と言えばそうではない。
 日銀は優先順位としてまずやらないといけないことがある。金融政策しかり、最後の貸し手機能(LLR)の発動しかり。自己資本比率を求める際の分母は確か銀行券残高だったはず(違ったらご指摘を)。この銀行券残高の動きをそもそも日銀はコントロールできないという立場にある。日銀は以前に比べて国債買いきりを増やし、金融政策運営にはイールドカーブをフラット化させる時間軸効果を取り入れている。いずれも自ら金利収入(シニョリッジ)を押し下げる要因であり、そうした中でドル安が進行して保有外貨資産に多額の含み損が発生したらどうするのか。そして銀行券残高がたまたま膨らんでいたら、どうするのか。
 ここで自己資本比率の維持を優先するなら、券の発行をやらないとか、収入を増やして内部留保に回すために時間軸効果を放棄するとか、国債の売り切りオペをやるとか、為替リスクのある外貨資産を売り払うとか、本末転倒の事態が起きるだろう。
 肝心なことは、自信を持って政策を運営し、人々の信頼を高めることであろう。逆説的には、いくら自己資本比率が高くても、それ自体が信認を完全に保証するものではない。例えば日銀総裁が「明日から偽札使ってもいいよ」と言ってしまえば、信認など簡単に失われる。山一証券向け特融が毀損した。残念なことではある。だが、日銀はその特融が必要だと自信を持って判断したはずだ。このLLR発動の判断を国民が「適切な判断だった」と支持し、日銀への信頼が高まれば結果的に自己資本比率は下がっても通貨価値は揺らがないと思うのだが。むしろ、自己資本比率にこだわりを見せるのは、自信がないゆえに指標に頼るような弱さを感じ取ってしまう。かなり理想論で、日銀からは反論をくらいそうだが、以上が私の見解だ。
# by bank.of.japan | 2005-05-12 01:02 | 日銀 | Comments(6)
英中銀の変則会計と調節改革=後者は日銀が教える立場かも
 シニョリッジに関する最初のエントリーで、「うおさん」が教えてくれた日銀金融研究所発行『金融研究』第23巻法律特集号(2004年8月)を拾い読みしたところ、イングランド銀行(英中銀)の経理処理が随分と変則的なのが興味深かった(うおさん、ありがとうございます)。そして、日銀関係者から指摘されて知ったのだが、英中銀はこれから準備預金制度を導入して金融調節の改革に乗り出す予定。これに伴ってバランスシート(B/S)構造は若干変わると推測される。なお、インタバンク改革の案を見ると、今なお随分と遅れた状況にあるとの印象を受ける。この点、日銀は中央銀行の大先輩である英中銀に“教えてあげる”立場になれるような気がする。邦銀もロンドン支店を通じて準備預金の積み方を英銀に有料で教授するビジネスチャンス?かもしれない。
 さて、英中銀の経理処理。これはかなり変わっている。銀行券発行業務と、これを除くバンキング業務は別会計となっている。日銀で言えば発券局が独立会計となった格好だ。『金融研究』では、券発行は「発行部」、バンキング業務は「銀行部」と訳されているが、日銀的な用語では「発券部」、「金融部」がいいかもしれない。会計上のB/S構造だが、「発行部」は負債に銀行券、資産に国債・証券等を計上。「銀行部」は負債に外国中銀預金、民間銀行預金、政府預金、英中銀発行外貨建て債券など、資産には現金、貸出、国債、外国政府債などが計上されている。それぞれの会計で発生する収益の処理だが、発行部の金利収入(収益=シニョリッジ)は全額が機械的に英大蔵省に納付される。一方、銀行部の金利収入は英中銀が取得し、純利益(日銀の剰余金に相当)が大蔵省への納付金と内部留保に回る形となっている。
 イングランド銀行が4月4日に発表した「金融調節改革案」によると、準備預金制度を導入して金融調節の充実化を図る考えだ。導入時期は来年3-6月で、斜め読みしたところ(正確でないかもしれないので詳しくは下記アドレスを参照)、準備預金の積み期間は月次。準備預金残高は選択性で、残高はプラスマイナス1%に納め、上下にはみ出した分はペナルティがあり。なお、準備預金は付利され、一方で25pb高い貸出金利が設定され、金利回廊を形成する仕組み。欧州中央銀行(ECB)型の金融調節体系のイメージか。準備預金の規模がどの程度になるか不明だが、場合によっては「銀行部」の負債のかなりを占めるのかもしれない。
 ところで、金融調節を改革する目的だが、翌日物の市場金利を政策金利に沿った水準に誘導し、インタバンク金利が日中、日々を通じて安定的かつフラットに形成されること。金融システムの流動性管理がより安全、効率的かつ柔軟に行われるようにする。金融調節の枠組みを単純かつ透明にする。マネーマーケットを公正かつ競争的なものにする、となっている。この点は日銀の方が随分と先進的に取り組んだ格好で、悲惨の経済のおかげで金融調節技術だけは世界最高を誇るであろうから、準備預金制度下の資金繰りに長けている邦銀と共に、英金融界に色々と教えられる立場になると思うのだが…。
英中銀の改革案アドレス
http://www.bankofengland.co.uk/markets/money/smmreform050404.pdf
 
# by bank.of.japan | 2005-05-11 01:54 | マーケット | Comments(1)
政策委が節度を失う理由=ある委員、恥をしのんで注意
 3月15、16日に開催された金融政策決定会合の議事要旨が公表された。注目は、金融政策運営の対外情報発信に関するある委員の発言。
 「(最近の情報発信をめぐっては)市場の一部には混乱を招いたとの評価もみられる。今後は細心の注意と節度をもって臨む必要がある」
 そもそも中央銀行の政策論や情報発信が、細心の注意や節度を持って行われるのは当たり前。これを身内から指摘されるのは、かなり恥ずかしいことであろう。「ある委員」も恥をしのんで注意をした、ということか。私の勝手な推測では、任期満了が目前に迫っていた植田委員だったのではないかと思うのだが。発つ鳥、言うべきことは言って発っていった、ということだろうか。
 技術的な引き下げがいかに理屈が通らないか、情報発信のあり方としてどうしてちぐはぐになったのかは、ここではあえて繰り返さない。ただ、そもそも論として、なぜ日銀は情報発信において不注意になったり、節度を失うことが多いのだろう。振り返ると、ゼロ金利解除も強行突破だったし、VARショックのときも情報発信が問題になった。
 多分、政策運営が感情的なのではないか。ゼロ金利も量的緩和も日銀は好きではない。基本的に嫌々政策を運営しているから、そこから逃れたい余りに情報発信にバイアスがかかっているような気がしてならない。利上げは勝ち、利下げは負け、という金融政策の勝ち負け論。日銀マンはそんなことはないと否定するが、速水体制では一貫して負けっぱなしで来て、勝ちに行ったら大負け。福井総裁になってからは、積極果敢に負けてきた。福井総裁自身も本当は量的緩和など好きではないから、技術論で先走る委員らを敢えて止めないのだろう。
 潜在的に感情的な政策運営を行っているなら、多分節度をまた失う可能性が高いとみているのだが…。
# by bank.of.japan | 2005-05-09 21:00 | 日銀 | Comments(0)
連休モードでネタ切れ
連休モードに加え、金融政策やマーケットもこのところネタ切れで、エントリーの更新が滞ってしまいました。いくつか材料を思いつき、先ほどまである話題のことをかなりのところまで書いてはみたものの、内容的にいまいちだったため、掲載は見送った次第です。更新忘れたわけではないので、お知らせまで。一両日中にはエントリーアップする予定です。
# by bank.of.japan | 2005-05-09 01:08 | Comments(0)
続シニョリッジ論=“捨てられたお札”をめぐる考察
 一般的に「タンス預金」は死に金だと思われている。世の中に流通しないので、経済効果は確かにない。日本ではまた、竹やぶやごみ捨て場にお金がよく捨てられる。最近では、駐車場の工事で地中からお金が発見された(これは埋めた人が年を取り、埋めたことを忘れたからのようだ)。「タンス預金」はしかし、単に銀行が信頼できないから家に置いておくとか、たくさんのお金を眺めるのが好きだから身の回りに置いておく、といった事情であれば、いずれは使われる可能性が高いと考えられる。問題は、捨てられたり、埋められたりしたお金だ。たまたま発見されれば別だが、未発見状態のお金は多分永久に世の中には現れてこない。こうしたお金はまさに本当の死に金になってしまうわけだ。
 では日銀バランスシート(B/S)上では、この手の本当の死に金はどう計上されるであろうか。ここから先は頭の体操として考えて見たい。仮に日本人が現金好きでなくなり、流通銀行券が減少していくと、お札は日銀に戻り、負債計上される銀行券は減っていく。ところが、捨てられて発見される可能性が皆無のお金は永久に戻ってこない。これがどの程度かは神のみぞ知るであり、過去発見されたお金が氷山の一角だとすると、かなりの金額に上るだろう。ここでは仮に1兆円と推計してみたい。この1兆円は日銀の永久債務として固定され、資産側に同額の国債が永久固定される。日銀が永久に存続すれば、1兆円の捨てられたお札は理論的には永久にシニョリッジを(金利分)生み続けることになる。かくして、捨てられたお札は、何にも役立たないというわけではない、と考えられる。
 個人的には、お金を捨てるのはとてつもなく勿体無いと思うし、捨てるなら俺にくれよと言いたいし、どうせ捨てるなら慈善事業をやっているところに捨てろ、と声を大にしていいたい。ただ、未発見のお金が莫大になるほど日銀のシニョリッジは増大し、国庫納付金に回る分もあると思えばまったくの無駄ではないなあ、と頭では納得したりする(気分は良くないが)。
 なお、海外ではお金が捨てられることはほとんどないのではなかろうか(海外にいたとき、この手の事件の記憶はない)。脱税マネーなら必死にロンダリングするだろうし、それを手助けするダークビジネスもあるような気がする。日本が異常にお金を捨てる国だとした場合、それはある意味ダークビジネスが発達していない意味ではクリーンな社会なのだろうか。一方で脱税はしやすい国なのかもしれない。つまるところ、税の捕捉は不十分だが、ロンダリング機能が弱いので、脱税資金の処理は捨てるしかない、のかなあ。この解釈でいいのか、意見あれば是非うかがいたい。海外事情も歓迎です。
# by bank.of.japan | 2005-05-04 01:26 | 日銀 | Comments(4)


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