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カテゴリ:マスコミ( 36 )
「資金供給総額」という報道の意味は…
 下のエントリーで「金融調節」に触れたついでのネタです。中央銀行が金融調節で大量に資金を供給する場合、その「供給総額」が記事になる場合が多い。例えば、「ニューヨーク連銀の資金供給は総額…百億ドル」とかいうニュースである。この「総額」は、供給量を足していく計算として間違ってはいないが、それはマーケット的に何か意味があるのか、と言えば、何もない。強いて言えば、マーケット的にほとんど意味のない計算(単純な足し算)をやってくれている、であろうか。
 「供給総額」と聞くと、その金額がマーケットに放出されて、お金がじゃぶじゃぶになった印象を与えるが、実はそうではない。分かりやすい例として、「銀行券」と「財政等要因」による資金需給が中立だとし、銀行の予備的な資金需要が通常よりも1兆円多い状態が続いたとしよう。この期間が1ヶ月続いたとする。1兆円を期間1カ月のオペで打ち込めば1回で供給は終わりである。
 では、一泊二日(24時間)の供給だったらどうなるのか。これは今日1兆円出し、明日にはエンドが来て1兆円が吸収されるパターンである。中央銀行は毎日1兆円のオペを打ち続けることになる。土日もなく毎日が営業日だと供給総額は30兆円となる。1兆円の供給を日々つないでいるだけだが、「供給総額」という概念ではどんどん足し算されていく。これは、中央銀行が頑張っているね、という印象を与えるけれども、それ以外の意味はほとんどない。
 一般的に年末という特定時点だけで強い資金需要がある場合、中央銀行は早めに年末越えのオペを打ち始める。だが、ピークに合わせた供給を行うと、その手前の資金需給が超余剰になって金利が下がる(利下げするなら別だが、その場合は利下げが事前で決まる)ので、一方で吸収オペも合わせて実行していく。供給はしていても実は吸収もやって、資金需要が強い年末のみ、それに見合った供給があるような状態にする。
 実際は銀行券・財政要因はいろいろな動きをし、供給・吸収オペの組み合わせはかなり複雑なのだが、超簡単にまとめると上記のようなイメージになる。じゃあ、「供給総額」という見出しが間違いかと言えば、ある期日からある期日までの供給オペを合計したこうなるじゃないか、と言われたら「そうですね」となってしまい、そういう記事を見るたびに悩ましいのである。
 まあ、中央銀行への教訓としては、オペが注目されるような状態(流動性危機)に陥ってはいかん、ということですね。細かい話であるだけに、いろいろなことが針小棒大に伝えられやすく、騒ぎが大きくなりやすいですから。恐らく、長めの供給やると、吸収も必要となり、結果的に中銀バランスシートは両建てで膨らみやすいので、そのうちそれに着目した報道が出て、資産劣化懸念がブームになるんじゃないないかと思うのだが…。
 バランスシート拡大は事実だし、「拡大(肥大)は悪である」との観点に立つ人には資産劣化と映るだろうし。まあ、しようがないね。
by bank.of.japan | 2007-12-18 22:32 | マスコミ | Comments(7)
「no news is good news」と言えたら…=妄想です
 「みなさん、今日はニュースがないです。良い一日でした。では、さようなら」-。ニュース番組がアナウンサーのこの一言で終わり、残った時間は風景をバックに音楽が流れる。新聞なら一面トップに「今日は目ぼしい記事はありません。紙面も少なくしました」と断り書きが入れられるなら、マスコミの有り様も随分と変わるのではないかと思った。
 引き続きマスコミについて(妄想モード)です。「報道」という分野に限ってだが、「量」に応じて報道時間&紙面を日々自由に増減させられたら、無理にニュースを大きくしようとして誤解を招いたり、偏向しているのではないか、と疑われることはかなりなくなるのではなかろうか。ハト(記者)がマメ(ネタ)を食う本能は変わらないにせよ、マメへの飢餓感は薄らぐように思う。
 「事件」は、日々平均的には起きてはくれない。得てして集中しやすく、何も起きないときは起きない。集中したとき、幾つかのニュースを次の日に回すとかできればいいが、起きたものはその日のうちに記事にしないといけないのが現実の姿である。
 民放の収益構造は詳しく知らないので、ここでは新聞メディアに限るが、その購読料は一定である。これはニュースの多い日も少ない日も均したうえでの「金額」であろうと考えられるが、可能であるならニュース量に応じて購読料を増減させられればいいのだろう。忙しいときはコストもアップする一方、暇なときはコストは下がる(ただ固定費の下限はある)。
 問題は、マスベースで伝えるべきニュースは実はそう多くはなく、もっと少ない紙面で十分間に合う可能性が高いことだ。この場合、購読料&広告料の減少は必至であり、多くのメディアは経営が成り立たたなく恐れがある。そういう事態を防ぐために給与など固定費を可変にすれば、無給で耐え忍ぶ日々が多くなるわけだ。
 毎日、コンスタントに紙面を埋める(or報道時間を埋める)ために、ハトが懸命にマメを探し回る必要性が薄れたら、世の中はかなり静かになるようにも思える。また、社説も毎日出ているが、これとて毎日論じるほどのテーマはないのかもしれない。まあ、そうなったら結果として多くのハト(私も含めて)は、ハトであることを止めないといけない。
 ニュース量に応じた「課金」は妄想の領域だが、現実的には新聞を読む人はかなり減ってきており、この構造変化の方が現実味を帯びた危機である。妄想しても現実も見ても、マスコミ業界の先行きが厳しいことに変わりはない。

しばらく前に「good night, good luck」という映画を見た。印象に残ったのは、マッカーシズムと戦う取材陣に対し、社主が「(硬派のジャーナリズムは)儲からないんだよ」と言った場面であった。これはこれで経済関係の報道では思うことがあるので別途取り上げます。
by bank.of.japan | 2007-10-30 20:49 | マスコミ | Comments(9)
「マスコミ」と「格付け会社」の共通項は予定調和かも…
 マスコミについて幾つかの論点が思い浮かび、どれから書こうかなと思っていた矢先に、ある読者から興味深いエントリーを紹介して頂いた。さっそく使わせてもらいます。紹介してもらったのは、三宅秀道さんのブログ、「福耳コラム」の「他人の判断への信頼」である。詳しくはご参照頂きたい。
 私としては、取材活動の一端が垣間見えたところが非常に面白く、それ自体に幾つか論点があると考えているのだが、ここではまず紹介してくれた読者の方が指摘した「格付け会社との相似性」について考察してみたい。
 まず、このエントリーで紹介されたマスコミの行動パターンを一言で指摘するなら「予定調和にはまった」ということであろう。ある情報が紹介され、それが反響を呼び、似た取り上げ方(ネタの調理法)が広がっていくと、ネタはともかく調理法(ここではプロジェクトX型と呼ぼう)が重視され、プロジェクトX風に見えるニュースが盛んに報じられる、という循環になる。
 この循環に入ってしまうと、それに逆らうことは難しい。パターンの定着は、それに乗っかる方が無難だし、逆張りの報道(または取り上げない)はとてもリスキーなことになる。実際にそれが一般の方々の間で人気化しているように思われたら(実際にどうかは別。そう見えるだけで十分)、万人ウケを狙うマスコミとしては全体が予定調和的に流れていかざるを得ない。
 さて、格付け会社である。昔、「格付け機関」と称されていたが、私は「機関」と呼ぶのに違和感があった。「機関」は公共・中立的なイメージがあり、格付け会社は利益を追求する民間企業に過ぎないからだ。また、そもそも「デフォルトの確率」など絶対的なものではなく、相対的なものであり(と私は思っている)、状況によって変わり得るものだろうと思う。
 マスコミが、これは万人ウケしそうだ、という報道スタイルにはまる構図と、ある金融商品が人気化していき、それを格付け会社が追認していく構図は似ている。その金融商品の中味(orニュースネタ)がどうあれ、ウケてしまう(売れてしまう)と、それには逆らい難いのである。孤立無援で逆らったにしても、それで得られるメリットはほんどない。
 三宅さんは「経済マスコミの行動は『評判が評判を呼ぶ』サイクルに巻き込まれざるを得ない」と指摘されていらっしゃる(経済に限らない)が、それはまあそういうものである。マスコミはマスの受け止め方を気にし、そこから逃れられない。格付け会社も似たようなものではなかろうか。投資家に人気化している商品を、そんなものクズだ、と格付けしていいことは何もない。
 最近、英会話教室のNOVAが紙面を賑わせている。私はそんなに大きなニュースなのかな、という印象だ。少なくとも経済(or産業・企業)ニュースというよりも社会ニュース(一般への知名度がある)であり、でも人々はそんなにNOVAに強い関心があるのかな、と感じる(もしかしたら関心が高く、詳細を知りたいのかもしれないが)。どちらかと言えば、マスコミが「これはウケるニュースである」と思って報じ、みんなが報じるから「予定調和」みたいな取り上げ方になっているのではないか、と見ているのだが…。

ps なお、「予定調和」の報道が行われているとき、人々が本当はどう受け止めているのかは別な論点であろう。意外に気にしていない、軽く受け流しているだけ、かもしれない。数百万の読者像は曖昧とし、私にはイメージできない。この点も含め、当エントリーを取っ掛かりにして幾つか論点を書いていきたいと思う。
 でも、情報を操作しようと思えば、ある状況においては簡単ですね。または報道の流れを作る、といったらいいのだろうか。「入れ食い」、さぞかし気分良かったのではないだろうか。
by bank.of.japan | 2007-10-29 22:29 | マスコミ | Comments(23)
1円玉は増産されていたのですね
 しばらく前に1円玉のネタを取り上げたが、足元では増産傾向にあるのですね。気がつかなかったです。まず、平成18年(年度か暦年か不明)までの製造データは造幣局の「貨幣に関するデータ=年銘別貨幣製造枚数(その2)」に掲載されている。それによると、平成17年は3002万9千枚、18年は1億2959万4千枚。一方、財務省の「平成19年度貨幣製造計画」では2億枚となっていた(3月に発表されていた!)。
 増産されたのは、もちろん需要があるからだろう。1円玉のコストは2倍以上のはずで、造幣局としては2億円分作ると2億円以上のロスが出るのだが、まあ需要があるのだから作らないとしようがない(ロスはその他貨幣のシニョリッジで十分カバーされるが)。
 電子マネーは普及しつつあるが、貨幣を減らすほどの効果はまだ出ていない。理由としては、①小売店などいろいろな決済場面でまだ1円玉が使われている②財布やタンスの中に滞留している1円玉が多い(流通量が意外に少ない?)-などであろうか。貨幣が決済場面で活躍するのは造幣局(&財務省)としては収入源になるので有り難いことだが、金融機関や店舗にとっては貨幣の管理コストがかかるので、なるべく電子マネーに吸収された方がいいのかもしれない。
 ところで、電子マネーが極度に発達して貨幣不要となれば、造幣局はなくなるのですかね。記念硬貨を出す程度の規模に縮小するのかな。まあ、今のところはそういう事態になりそうな感じはないですが。


ps 余談ながら、私はコンビニなどではなるべく1円単位まできっちり払いたいタイプである。従って、家には溜まった1円玉はない(と思う)。机の中にもない。1円玉流通にはまあ貢献しておりますね。造幣局さん、私のような存在はありがたいでしょ(笑)。
by bank.of.japan | 2007-10-16 21:55 | マスコミ | Comments(6)
情報伝達の在り様とブログの使い方の考察
 先般のロイターCEOのエントリーでは触れなかったのだが、ブログのビジネス化に関連してつらつら思うことを覚え書きとして記してみたい。もとより、有効な手法はまだ曖昧としており、うまくイメージができないのだが、その途中段階の生煮えの思考として受け止めて頂ければ幸いである。うまくまとまらないかもしれないが、ご意見、頂くとありがたいです。
 ブログ論の前にまず情報伝達の理想的な形を簡単に。「情報を気兼ねなく伝えるor情報をベースに深い議論をする」のに一番ふさわしいやり方は「直接会う」ことである。しかし、情報を伝えたい相手全員に個別で会うのは物理的に無理である。また、このスタイルをブログに置き換えるにしても、誰でも読めるオープン状態では書けることも制限される(情報量の低下)。
 では、オープンにしない手法を取れるのか。一番簡単なのは、現在の読者を囲い込むことである(個々のプロフィールの把握、セキュリティの確保、読者管理など技術的なハードルは高い)。この手法が仮に簡単に出来れば、今よりは中身を濃くしていくことは可能だ。反面、クローズドにしてしまうと、潜在的な読者が新たに入ってくるのは難しくなり、ブログとしてはジリ貧になりやすい。
 私は、ブログの読者数を意図的に増やすつもりはまったくない。中身を分かりやすくして広く読者を確保しようとすれば、懇切丁寧な文章にならざるを得ない。この場合、得てして既存読者には冗長(中身が薄くなった)になった印象を与え、コア読者の離散を招きかねない。文字系マスメディアの陥った罠にこのブログもはまるわけだ。
 結論としては、今の状態から動きようがない、となってしまう(笑)。また、上記であえて触れなかったのは、ビジネス化(収入の確保)である。これはちょっと検討がつかない。マスに比べて超少数の読者数では、課金だけだと多額に上り、非現実的。一方、広告を入れるにしても、出稿する企業がなさそう。また、仮に出稿する企業がいたとしても、広告の入ったブログが果たして中立・公正的(もちろんブログ内容に私の主観は入るが)とみなされるか疑問もつく。
 ロイターのグローサーCEOが示した見解(無料・広告)とは逆張りの道があるとは思うのだが、今のところ霧の中である。まあ、引き続き考えていきます。
by bank.of.japan | 2007-10-13 12:11 | マスコミ | Comments(5)
本当に『無料・広告』が勝つのか=ロイターCEOの弁
 日経新聞にロイターのグローサーCEOのインタビュー記事があった。この中で、一般消費者向けのネットメディアに関し、「すでに『無料・広告』のモデルが『有料・課金』に勝ったと言える」との認識を示していた。課金で成功しているウォールストリートジャーナルは例外的であり、「いずれ無料化の波が押し寄せる」とのことであった。この点について、私はまだ帰趨は良くわからない、と思っている(ジャーナルの手法も一概に否定できない)。
 「一般向けのニュース配信」を無料化した場合、各メディアともさほど取材手法に差異はなく、似たり寄ったりの内容になるので、結果的に「何でもたくさん出す」(量の勝負)、「早く出す」(迅速性)という勝負になっていく。しかも、たくさん出すには、拠点数と記者の多い方が有利なので、体力勝負となって少数のメディアが生き残る競争となる。
 この点、ロイターは拠点が多く、しかも知名度があるので、『無料・広告』で勝ち残る勝算があり、だからCEOは上記の認識を示したのだろう。では、課金型のビジネスは成立しないのか。私はそうでもない、と思っている。世の中の全員が「一般」のカテゴリーに納まるはずはないからだ。総花的なニュースに総花的な興味を持つ「一般人」の集団は大きいだろうが、それでも人々の関心は多様化しているので、例えばジャーナルように経済の専門性に特徴を持つメディアは課金で生き残るチャンスはあるような気がする。
 それと、『無料・広告』で競う場合、単独でニュースポータルを運営するメディアよりも、各メディアが無料で流すニュースを集積させた検索エンジン(グーグルとか)の方が集客数が多いと思うが、どうであろう。それと、本当に専門的な解説・見方はマスメディアよりもブログの方が有益なのは確かだ。特に金融関係ではブログウォッチは欠かせない。問題は、みなさんボランティアで手がけるブログの将来性なのだが、これはまだ良く見えないですね。うまい方法があればいいとは思うのだが。
 
お知らせ=官僚系ブログで有名な「航海日誌」さんが10月6日分に日銀ネタの替え歌を掲載されておられます。興味ある方はどうぞ。
by bank.of.japan | 2007-10-10 22:41 | マスコミ | Comments(5)
霞ヶ関からのメールに答えて=なぜ「第二の柱」が焦点になるのか
 植田東大教授のエントリーに関連し、知り合いの霞ヶ関某氏から反響メールを頂いた。その中で「日銀は必ずしも『第二の柱』で利上げしているわけではないと受け止めている」との感想があった。この点について、この機会に改めて解説を試みたいと思う。
 日銀は霞ヶ関某氏が指摘するように、「第二の柱」を主軸に利上げしているわけではない。基本的には、向こう2年間の経済・物価見通し(第一の柱)に基づいて金融政策の舵を取っている。「第二の柱」は、2年よりも長いスパンにおけるリスク分析であり、利上げの理由としては極めて小さな位置付け、というわけだ。
 では、なぜ「第二の柱」が焦点になるのか。一つには、マスコミの報道(特にヘッドライン)を通じた印象が大きいように思う。一般的にマスコミはなるべく分かりやすい理由付けを行う。不特定多数(経済に興味がない読者も含む)を相手に記事を作成する場合、第一とか第二とかといった組み立ては複雑なロジック構成であり、マスコミ的には使用に耐えない(笑)。従って、何らかの単純化を図るわけだが、このときバブル(円安、株高、不動産高騰)のリスクに対応した「第二の柱」に関する日銀高官(正副総裁、審議委員)発言は、見出しとして極めてキャッチーになるのである。
 日銀マン&ウーマンはクソ真面目で、しかもとても優秀なので理屈をぎりぎり詰める人達だ。考えたことは声明にすべてぶち込もうとする。第一・第二の柱で構成する現在の政策ロジックをはその権化のような人が練り上げた「作品」のようなもので、これは金融政策を真摯かつ性善説に基づいて勉強するぐらいの覚悟で受け止めないとなかなか頭には入ってこない。
 そこまで凝った政策ロジックなので、日銀の人間ですらよく分からないものであり、メールをくれた霞ヶ関某氏(かなり日銀に詳しい)すらも「日銀の説明がわかりにくいことも確かで、もう少しどうにしかたらいいのにと思う」というわけだ。いわんや、一般の人にわかるはずもなく、マスコミは日銀高官がロジックに沿って多くを語り尽くしても、第二の柱関係に飛びつくことになる。
 残念ながら、中央銀行の情報発信は、それ自体がロジック的にはいくら緻密であっても、結局は「印象」がすべて、という風になってしまう。テキストベースではいくら完璧であっても、「印象」によって政策運営は決定付けられてしまう。今後、「第二の柱で利上げしている」との誤解が払しょくされるためには、経済の安定成長が続き、物価が鮮明にプラス基調になるしかない。
 では、どうしたらよかったのか、は次の機会にでも。


 
 
by bank.of.japan | 2007-06-01 23:11 | マスコミ | Comments(26)
マスコミとして労働分配率引き上げを主張する場合は「プラウダ」になる覚悟が必要
 だろうなあ、と思った。昨年暮れ、ある新聞(経済系です)の社説を見たときの感想である。個人的にはもちろん分配率の引き上げは歓迎である(笑)。しかし、いくらわが国が社会主義的な体質であるとは言え、曲がりなりにも資本主義経済陣営に属し、かつG7の主要メンバーでもある。そういう国のマスコミなのだから、いくら消費増大のためとは言え、労働分配率の引き上げを唱えてしまうと、社会主義国家の機関紙みたくなってしまう。
 人材も重要な資本なのは間違いない。しかし、人材にどれだけのコストをかけるべきかは個々の企業経営の判断に委ねるしかない。経営側に多くの問題があるのは確だ。年功序列の廃止・成果報酬の導入などは、本来は能力に見合った報酬を与え、組織を活性化させる狙いがあるが、実際には単なる人件費抑制の仕組みと化し、組織の沈滞を招いた例が多いだろう。
 とは言うものの、社会的圧力によって労働分配率を引き上げさせ、それによって経営が傾いた場合はどうなるのか。恐らくは誰も助けはしない。私は経営者の味方をするつもりはまったくないのだが、人件費の在り方で制約を受けた経営者は気の毒だと思う。構造改革(規制緩和など)の推進は企業の競争条件を厳しくするが、そういう時に人件費増加を強制させる行為は改革に逆行するようなものではないか。
 理想的には、人件費の在り方も市場原理に委ねるしかないだろうと思う。すなわち、人的資本の重要性を軽視する企業は競争力を失って淘汰され、人材をうまく活用した企業が生き残るのを見守るしかない。それによって多くの企業が脱落したら…。その場合は、国際的に見て日本企業の人事政策が下手でしかなかったということだろう。

ps そもそも論として、人件費をケチる以外に収益を上げる方法がない企業は永続性がないのではないだろうか。そういう企業の労働分配率を引き上げさせると、淘汰が早まるだけのような気がする。なお、日本のマスコミがもともと社会主義的体質を帯び、それがはからずしも労働分配率の引き上げ論で露呈した面があるのは否めないです。残念ながら。
by bank.of.japan | 2007-01-06 01:31 | マスコミ | Comments(14)
ヘッドラインリスクが生じる理由(オマケ)=具体例で考えてみる
 ヘッドラインの作り方は、簡単なときもあれば難しいときもある。短いフレーズで意図の明確な発言がもちろん簡単であり、具体的には「イエス」とか、「ノー」とかの肯定・否定である。一方、曖昧な言い方は当然ながら難しい。また、答弁が長いとき、途中で切る・切らないによってもヘッドラインの印象は変わり得る。今回はシリーズのオマケとして、最近の総裁答弁から具体例を取り上げてみたい。

以下は11月16日の総裁会見の一部抜粋である。
(問) 追加利上げの時期について、総裁は予断を持っていないとおっしゃいましたが、前回の記者会見で、年内の可能性を排除しないのかという質問に対し、排除はしないという趣旨の回答がありました。本日の金融政策決定会合が終わり、年内に予定されている金融政策決定会合はあと12 月だけですが、今の時点でもやはり年内の可能性は排除しないというお考えなのでしょうか。
(答) 如何なるタイミングも排除して考えないというのが、予断を持たないということの定義に一番平仄があっていると思います。

短い答弁だが、それでも以下のヘッドラインが考えられる。
①年内利上げの可能性、排除しない=福井日銀総裁
②如何なるタイミングも排除して考えない=年内利上げの可能性で日銀総裁
③如何なるタイミングも排除しないのが予断持たないと平仄合う=年内利上げの可能性で総裁

 どれも間違いではない。質問も踏まえて簡潔に作成するなら①、発言になるべく忠実なら③(または②)であろうか。ただ、市場参加者に与える影響は微妙に違うと思われる。①は、日銀が利上げに前傾しているような印象を与え、マーケットインパクトをもたらすかもしれない。
 投げられたマメ(ないしマメのようなもの)をハトがどんな食い方をするかは各社・各人各様であろうと思う。①、②、③のいずれが正しいかはなんとも言えない。私は③に近いヘッドラインであったが、それが正しいと言うつもりもない。受け手もそれぞれで①がいい方もいれば③でいいという方もいるかもしれない。
 すでに述べたように、ヘッドラインリスクを減らすには、露出頻度を削減するのがベストだが、それは望むべくもないので、今の形式を続けざるを得ないだろう。後はボードメンバーがどこまで発言に気をつけるかだが、これも出たとこ勝負といったところ。ハトらがさまざまなヘッドラインを打ち出す日々は当面続くのは間違いない。

ps 上記のようなことをあまり考えるとハトとして動けなくなる面もある。まあ、自然体でやろうと思っておりますが(笑)。日銀さん、あまり悩ませるマメを投げないでね。
by bank.of.japan | 2006-12-17 14:29 | マスコミ | Comments(12)
「マメを食うハト」との対話は…=ヘッドラインリスクが生じる理由①
 ちょっとうろ覚えだが、日経新聞の岡部論説主幹が大分前の紙面で、マスコミ報道のあり方について、いずれ明らかになる事実を熱心に追うより、分析・解説に力を入れる方向に行くべきだとの主張をされていた(私も賛成)。この問題意識は恐らくはマスコミ各社に共通するものだと思うが、現実にはしかし、各メディアの記者はニュースを追うのに必死で、日経新聞も例外でない(むしろ媒体も多く、もっと必死のはず)。
 かくしてニュースのネタを必死で拾う記者は、マメを探し回って食うハトと同じようなものと言える。マメを食うのはハトにとっては生存本能であり、マメがまかれる、ないしはマメがまかれるような動作を見ると、条件反射的に群がる。記者も同様であり、ニュースのネタがある、ないしはあると思われる場合にはネタないしネタのようなものに飛び付いてしまう。
 日銀の金融政策の基本スタンスは、「景気が(展望リポートの)シナリオに沿うなら利上げが必要」というもの。この場合、利上げ=マメであり、「マメをまく」宣言していることになる。このため、会見・講演などは「マメ食い」の格好の場となり、その時期が迫ってきたのではないか、との感じが少しでも広がると、マメ食いゲームが白熱する。
 そういうとき、総裁・審議委員が会見で一般論として答えても、その答えの中にネタになり得るフレーズがあれば、切り取られてヘッドラインになりやすい。一方、市場の織り込みゲームもヘッドラインを契機に始まりがちで、これもまた始まってしまったゲームは止められないことが多い。会見などの要旨を後からじっくり読んでポジションを作り直すのが本来は合理的であるが、利上げ織り込みのゲームに逆張りするのは難しい(そういう参加者もいるかもしれないが)。
 マメを食うハトとの対話は、特にマメまきが前もって宣言されている場合は、かなり難しいと言えよう。一般論として述べたに過ぎないフレーズがマメとして切り取られるのは、「一般論を借りた情報発信」という手法もあり得るためで、生存本能で動くハトはそのフレーズを落とすことができない。特オチのリスクも伴うからだ。一番いいのは、ハトの群れに「マメはまかない(利上げしない)宣言」をすることだが、日銀としては無理な話である。
 今回はヘッドラインリスクが生じる理由をマスコミの体質の側面から述べた。次回は日銀側のロジックと体質について述べたい。

ps 上記エントリーの内容は、日銀内では“ハトマメ論争”として知られる。この件に詳しい幹部と何度が議論したことがあるが、少なくとも「ハトにマメを食うな、と言っても無駄である」との見解では一致したが、うまい解決策は見出せなかった。詳しくは次回以降で。
by bank.of.japan | 2006-12-12 21:24 | マスコミ | Comments(13)


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