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実家が農地解放の恩恵を受けた小作人であるなら…
 下のエントリーを受けた個人的な思いであります。
 トラックバックを頂いた「すなふきんの雑感日記さん」経由のウィキペディアの農地解放の記述で、田舎の生活を改めて振り返ったのが…。まあ、少なくとも私個人にとっては農地解放はマイナス面が大きかったと思う。
 もちろん、私の実家が農地解放の恩恵を受けた小作人であったかどうかは、親父に聞いてみないと分からないのだが、昔は木こりをやっていたと祖父から聞いたことがあり、多分恩恵を受けた可能性はかなり高い。で、その影響がどうなったか、である。
 まず、私の親父の場合である。親父は戦時中、旧制中学に入り、戦後に学校制度が変わったときに新しくできた農業高校に移った。これは本人の意思ではなく、終戦直後の食糧難で「これからは農業の時代だ!」と思い込んだ祖父の命令であったらしい。卒業後、親父は地元の肥料会社に入ったが、しばらくは「儲かって儲かって仕方がない」という状況が続いた。ところが、高度成長が続いた反作用として、肥料ビジネスはだんだん先細りとなり、実家に戻って公務員となった(この辺の経緯は親父と祖父との間で微妙な見解の差があり、真実は不明)。
 そして私の場合。親父が田舎に戻ったとき、私は小学校に上がる寸前であった。私は小児喘息に苦しんだ一人であり、振り返ってみると、発症は田舎に戻った時期と一致する。その原因だが、自分としては①生活環境が変わったストレス②農薬-を疑っている。もともとアレルギー体質だったところに①と②による複合要因かもしれませんね。
 いずれせよ、中途半端な農地では機械化も出来ず、相当期間、手作業重労働が続いた。農薬もかなり浴びた記憶がある。初夏は田んぼの殺虫剤散布で真っ白な粉を浴び、一方でみかんも栽培していたので、こちらは真っ白な液体が霧状になって体に降りかかった。どっちも吐き気がして、私は苦痛でたまらなかった。
 半端な農地は、兼業農家の典型であるが、家計的にはもちろん現金収入の主力手段ではなく、食い物のかなりを自給自足で賄う分ぐらいの足しになっただけで、現金収入があったにしても耕運機や肥料などの購入に「大半が消えた」と親父は言っていた。親父はまだ農作業が趣味的に好きだったからいいものの、私にとっては喘息発症をもたらした原因の可能性が高いうえに、苦痛な労働でしかなった。私よりも激しい重労働を余儀なくされた友人も多かったが、誰もが辛そうだった。知る限り、だれも農業をやっていない。
 農地解放。「大規模営農が事実上不可能となり、日本の農業が国際競争力を得られない構造が固定化されることとなった」(ウィキペディア)うえに農業を嫌いにしたのではないか。ちなみに今は趣味的な農業はいいかな、とは思っております。
by bank.of.japan | 2008-07-24 22:40 | 経済 | Comments(18)
Commented by EURO SELLER at 2008-07-24 23:17 x
そういえばジンバブエの農業がだめになって輸出品がなくなり,経済的にズタズタになって現在の天文学的なインフレをもたらしたのも,農地解放ですね。農業ほど規模の経営が意味があるものはないのかもしれません。
Commented by Cru at 2008-07-25 00:20 x
江戸時代は、二重搾取で「あがり」が減るのを避けるため…か、あるいは行きすぎた搾取で生産性低下を避けるため…かどうか良くわかりませんが、自作農主義だったのですよね。明治の地租で小作に転落。

江戸時代と終戦直後の人口比は二倍くらいでしょうか。

就農人口的にはどのくらい増えていたのか、農地面積と生産性の増加はどうか。農村の貨幣経済依存率は当然上がっていたでしょうが、農地が江戸時代より細切れになってた可能性もありそうですね。

少なくとも朝鮮の移入米がなくなって食糧不足が深刻化していたのですから、人口増加分に国内での食糧増産分が追いついていなかったことは
確かなわけで…
Commented by bank.of.japan at 2008-07-26 01:10 x
EURO SELLERさん、どうもです。農業は、趣味的にやるor自給自足程度にとどめるなら生産性は関係ないのですが、ビジネス化に際しては生産性すなわち規模が最大の問題になるのかもしれません。この点、農地解放は結果的に生産性を決定的に落とした公算が大きいです。

Cruさん、どうもです。戦後の農業は不幸なことにスタート時点から生産性の面で大幅なマイナスであったということでしょう。農村社会にとどまる限りにおいては、民政安定化に際して土地の解放は有効ですが、近代化するに際しては足かせになる感じです。しかも、民主主義においては、それなりに投票行動で農村は力が持てるので、財政的な面でも負担が多くなりやすいのは確かですね。
Commented by 小野(東京都港区) at 2008-07-26 14:07 x
もし戦前と変わらぬ農業だったとしてもとても及ばなかった様にも思う。元が小さ過ぎたと
言う事もあるにはありますが、戦後の人口激増や食生活の激変を満たすレベルの
農業技術の革新には、やはりせめて新大陸やユーラシアそれから豪州程度の大地は
必要不可欠ではなかったかという気もする。また、それとともに、そのいわば
前段階としての黒人奴隷等の大規模プランテーション経営なども。東南アジアの
ヤシ油等もありますが、あれとて、そうした大規模プランテーションが始まりだった筈。

一方、日本は、太平洋戦争どころか第一次世界大戦の頃から、例外的に戦火を
免れたと言う事等もあり当時から、「”輸出で”」、膨大な利益を得ていた。
そのしわよせで逆に国内では有名な米騒動等も頻発した、等とも言われている
様ですが。ともかく、
いずれにしろ
日本では、少なくとも奴隷等を使っての大規模プランテーションも、ましてや、
「食料が理由で」国外への進出(、侵略等という言葉は使ってませんので予め)
に、戦争に、ふみきったという事でもなかった、

ということは、言えるんでは無いかという感じもしています。
Commented by 小 野(東京都港区) at 2008-07-26 14:08 x
ただ、
そうはいうものの、

その後日本は結局、世界恐慌等もありましたが、聞く所では「絹」が大きかった
らしいが
「国外の市場確保が困難」となり、と同時に、それまでの活発な経済活動を維持
し、競争に遅れぬ為にはどうしてもやはり「原料や資源の確保」も不可欠だった
為、

御承知の通り、戦争にふみきり、そして負けた。しかし絹だけでは無いらしい。
日本はかって、それも江戸時代より以前から、「銅」「銀」そして「金」でまで
しかも、”その時々の世界全体で”、圧倒的シェアだったという事だ。もっと
驚くべきはそれら金銀銅それから絹と全て、その後幻の如く消失したという点。



「現在の日本の輸出産業もまた同じ」??、そこまで言うつもりも(今は?)無い
ですが。
Commented by PK at 2008-07-26 16:35 x
すなふきんで指摘されているように、この日本という国の宿痾は、マルクスレーニン主義だ。
今の日本は戦前とそっくり、現実対応能力を著しく無くして数年で国の運命や国民の未来が暗転するだろうね。僕は戦前の戦争は赤が起こしたと信じている。
その前に、僕らのような底辺の人間は現代のエタヒニンになるだろう。
小泉時代は、バブル以降で経験した最も明るい時代だった。
赤野郎が反動革命起こしたから、もう二度とああいう時代は来ないかもね
Commented by ポロ at 2008-07-28 06:11 x
どちらかというとアメリカの方が巨大すぎてマルクスレーニン主義になりやすいですね。
先物とかでの価格調整。
でもあっという間に石油終り、次はバイオ(農業)かな。
今度は空売り禁止ですかと。
やはり巨大になればそうなりやすいんでしょう。
共産主義が一番エセだと思っておりますが。
Commented by bank.of.japan at 2008-07-28 22:14
小野さん、どうもです。国土上の制約から、特に穀物関係の国際競争力は望むべくもなかったのは確かかもしれません。輸出がどうなるかは、まあよく分かりませんが、徐々に競争力は落ちる方向であろうと考えますが…。

PKさん、どうもです。社会主義的な風土ではありますね。

ポロさん、どうもです。空売り規制は状況的にはやむなしだったのではないかと。余裕がないと仕方がないです。
Commented by うどん蹴りχ at 2008-08-01 14:50 x
初めてコメントします。そして古いエントリーへのコメント失礼します。

農地解放は江戸時代にも類似した政策が見られます。
たとえば江戸後期の黒田藩では小作人を使う大地主の商家(不在地主ですね)が多く、
憂慮した藩はその土地を召し上げて小作を本百姓とし、
小作料を年貢として納めさせるようにしました。
この策は成功し、収量はアップしたそうです。

それと、江戸期の農政家の思想は擬似共産主義的なものが多いです。
有名な二宮尊徳の分度・推譲などは、
「収穫から己に最低必要な分だけとり、あとは皆に分け与えなさい」
という考えだったりしますね。

私の家は農地解放「させられた」側でした。
幼い頃、祖母からGHQ への恨みつらみを聞かされましたね。
しかし私は意図はどうあれ、解放は正しかったと考えています。
現在の農家の惨状は、結局「保護」といいつつ蔑んでいたことにあると思います。
Commented by bank.of.japan at 2008-08-01 18:24
うどん蹴りχさん、どうもです。国の経済がほぼ閉じて、農業が主力産業であった当時、米など農産物はそれ自体が富の象徴なので、土地開放はインセンティブの面で生産性が上昇する働きがあったちょうに思います。
 戦後は、経済発展に伴って第一次産業は凋落し、国際競争の圧力にもさらされる逆風がきつかったように思います。蔑む背景にはなかなか儲からない、という事情があったように感じます。
Commented by 飛車 at 2008-08-01 23:42 x
うちの母方の婆ちゃんの実家も開放された側だったので、恨みつらみは結構聞かされましたね。当時の社会常識がわからない以上、なんとも言いがたいのですが、少なくとも30年ほど前には既に企業化すべきか否かという話にはなっていたような気がします。

まあ、若干仕事でお付き合いがあったり、東南アジアの農家の実情を見たりすると、農協・経済連も一概に否定すべきものではないと思ったりする面もあります。同時に、あの組織が、そのまま私企業にスライドしたら化け物コンツェルンになりますよ。上場したら凄い株価になるでしょう。マジで。
Commented by jp at 2008-08-07 07:25 x
農地解放の基本理念および担当者のヴィジョンはここで触れられています。
http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yamashita/19.html
http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0138.html

・純粋資本主義は農業になじまない
・農地の所有者と農作物の生産者の分離はイノベーションをもたらさない
・独立自営の家族経営こそが理想の形態である

というのが農地解放の基本理念であったようです。
農地解放は旧農林省が戦前から取り組もうとしてきたことであり、また国内の社会主義陣営の対立軸、すなわち講座派vs労農派の対立軸が農業問題の解釈をめぐるものであったことからもわかるように、農業問題はかつての日本で大きなウェイトを占めていました。
Commented by jp at 2008-08-07 07:25 x
戦前の地主1人あたり耕地面積は15町歩前後といわれていますが、「農作物の生産に直接タッチしない彼らに農地の所有権を持たせたままでは農業の革新は起こらない」と農地解放の担当者は考えたようです。

当時の和田博雄農相は「農地の所有者と農作物の生産者を一致させないとイノベーションはいつまでも起きない」と考えていたようなのです。

実際、農地解放後の1950年代は生産意欲が高まり食糧増産には成功したといえましょう。

しかし、農地解放の担当者は将来の経営規模拡大が避けられない、とも考えていたようです。
先述の和田農相(当時)は、1947年の時点ですでに「日本の農業問題は単に農地改革だけでは解決せず、今後は経営の合理化が直ちにプログラムにのぼると考えます」と発言しています。

すなわち。
農地の所有者と農作物の生産者の分離の解消による生産意欲の向上を図った上で経営規模の拡大につなげないと日本の農業問題は最終的解決に至らない。農地解放と経営規模拡大は1本の線でつなげるべきものであり議論の争点にするのはもってのほか。
というのが結論とはいえないでしょうか。
Commented by bank.of.japan at 2008-08-07 22:18
飛車さん、どうもです。上場すると、それなりに合理化圧力が働いて、大きなパワーを持つ可能性はあるかもしれません。

jpさん、どうもです。資料紹介、ありがとうございます。農地解放でインセンティブが働く形を作り、その後は多く発生した自作農の淘汰過程を経て競争力のある大規模経営に発展していくことが理想的だったのですね。農業の離陸速度よりも製造業などの方が圧倒的に速く、相対的に農業が衰退する格好となったのでしょう。
Commented by jp at 2008-08-08 15:22 x
管理人さん、お返事ありがとうございます。もうちょい続けます。

> 農業の離陸速度よりも製造業などの方が圧倒的に速く、相対的に農業が衰退する格好となったのでしょう

製造業のように政府が特段の保護をしなければ、1961年の農業基本法の狙いどおり合理化プログラムは成功したと思います。

やはり政治的理由による農家の過保護、すなわちコメ偏重・生産者米価の国際価格からの乖離の放置を続けてきたツケが回って限界に達したのだと思います。

自由民主党は、献金は外需で稼ぐ大企業から主に受け、票は内需で稼ぐ流通業・建設業そして農業関係者から受けてきました。
Commented by jp at 2008-08-08 15:22 x
自民党は自由陣営への所属を党是としながら、票田は保護主義的な産業セクターに依存した。自民党が「経済・社会政策は社民主義的」といわれた所以です。

このような農家の過保護に対する批判の声は大蔵省や通商産業省あたりや在野経済人から漏れてくるだけでした。

自民党右派とされる岸系も統制経済志向で争点にはせず、反対政党は自民党のさらに左のスタンスからしか批判できないため、「農家の保護が足りない」という批判を浴びせてきただけでした。

農相時代は柔軟でシャープだった和田博雄は教条的社会主義に走り、昔日の影はありませんでした。何かもう、諦めていたのでしょうか。
Commented by jp at 2008-08-08 15:35 x
つまり、こんにちの農業問題は、東西冷戦時の政治ファクターに起因するといえます。経済政策面で「社民主義路線vs極左路線」の対立軸しかなかった、というファクターです。

農業だけではないです。わが国特有の「円高恐怖症」という病は、外需産業に対する内需産業のどうしようもない生産性の低さから発生しているわけです。

自民党はどうしようもねぇなァ、という世論のトレンドはよくわかるのですが、社会党に先祖がえりしているように感じられる民主党もかなりひどい。
Commented by jp at 2008-08-08 15:36 x
過当競争の下で低賃金・不安定雇用に苦しむ層を救うべきではあると思いますが、片や昔ながらのノリでいる大企業や官公庁の労使ぬるま湯コネ社会主義を放置していいとは思わない。支持基盤である官公庁の公務員も身銭を切らないと派遣労働者問題は解決できないからです。しかし野党は官公庁の公務員への反感を意図的に無視しており、あまりにも卑劣で不誠実です。

製造業や、超低金利で世界の銀行となった金融業は強靭なものの、政治家の経済認識は最悪です。

富の再分配は財界が行うことではなく、ましてや市場が調節するものではなく、政界が行うことです。しかし政界はろくな経済認識を持たずメチャクチャな主張をする。政党政治はもはや機能不全ではないでしょうか。

長々すいません。
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