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解除の論点整理②=日銀史上初めてフリーハンドを握ってまとな対話できるのか
 論点整理というよりも今後の課題として日銀の対話手法を考察してみたい。
 何人かの日銀マン&ウーマンと議論してみて、気が付いたことがあった。それは表題にもあるように、日銀は生まれて初めて金融政策のフリーハンドを握った、ということである。どういうことかと言えば、以下の通りである。
①1998年まで法的な独立性はなかった
②同年、法的に独立したが、金融政策は緩和圧力にさらされ続けた
③1999年、ゼロ金利に追い込まれ、「デフレ懸念払拭できるまで」という“第一次時間軸”に手足を軽く縛られる
④2000年、縛りを勝手に解いてゼロ金利解除するも失敗
⑤2001年、量的緩和に追い込まれ、CPIペッグの強力な“第二次時間軸”によって手足をがちがちに縛られる
⑥2006年、縛りをやや強引に解き、量的緩和を解除
 この結果、日銀は法的に独立した状態で、利上げ方向へのフリーハンドを握った、わけだ。金融市場にとって、こんな日銀と対峙するのは初めての事態である。どういう風に対話していけばいいのか、これは難題である。なぜなら、法的に独立するまでの日銀は、シグナルオペを通じて対話していた。これは多分に営業局調節担当審議役の趣味性も混じった今にして思えば極めて不透明な対話であり、私はかろうじて末期の営業局を知っているが、調節関係幹部の言い分は意味不明であった。
 過去5年は日銀が対話で何を言おうがCPIの足かせがあるので、まあ期待安定化のアンカー役はあった。そして今、時間軸のアンカーはない。政策委員会メンバーの発言が主たる対話チャンネルとなる。ご存知のようにメンバーらは対話ではなく、“地ならし”をやってしまう。利上げも“地ならし”をやるだろう。しかも、適正金利がどこか曖昧にしたままなので、“地ならし”におびえる市場は最大限の利上げ幅を織り込んでいく恐れもある。なぜなら、縛りの取れた日銀の“地ならし”は凶器を振り回すような存在と映るはずで、市場は可能な限り逃げる(最大限の金利ヘッジする)からだ。
 そこで提案。景況感だけを語れ、そして金融政策については「経済がバランスのとれた持続的な成長過程をたどる中にあって、物価の上昇圧力が抑制された状況が続いていくと判断されるのであれば、極めて低い金利水準による緩和的な金融環境が当面維持される可能性が高いと考えている」と馬鹿の一つ覚えで言うことだ。本日の武藤副総裁の答弁が模範となる。
 史上初、利上げ方向へのフリーハンドを握り、“地ならし”が得意な日銀は、市場から恐怖の対象とみなされやすいことに気を付けた方がいい。

ps このエントリーは、経済・物価見通しが日銀のシナリオ通りに動くことを前提にしている。日銀内部の声を代弁する側面もある。
by bank.of.japan | 2006-03-16 00:47 | 日銀 | Comments(5)
Commented by walrus at 2006-03-16 12:29 x
時間軸という歯止め喪失。タカ派DNAを総裁はセルフコントロールできるのでしょうか。「漸進主義」の「前進主義」化を憂慮します。
Commented by bank.of.japan at 2006-03-16 13:48 x
「急進主義」に発展するリスクはありますかね?
Commented by walrus at 2006-03-16 20:40 x
市場との対話=極右街宣車からの情宣?
Commented by 胡桃 at 2006-03-17 04:10 x
極端な観点から、議論の振り子を大きくふるのが私の癖なのですが、単純な質問です。
日銀が、史上はじめて「日銀は法的に独立した状態で、利上げ方向へのフリーハンドを握った」のは明らかな歴史的事実ですが、世界の中央銀行の趨勢として「法的に独立した状態であること」はおかしいのでしょうか?経済(金融政策すべてをふくんで)がグローバル化する上で、日本と言えど必須のプロセスであるならば受け入れるべきではないのでしょうか?いくら日銀が「“地ならし”が得意」といえど、国民が経験せざるをえないのではと思う次第です。
Commented at 2006-03-17 05:39 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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