人気ブログランキング |
須田委員の立ち位置、それと「ブラックアウト」について
 本日は二題。まずは須田委員の立ち位置について。
3月末の日経「経済教室」によれば、量的緩和は金融危機対応の政策との位置付け。そして、須田委員は市場機能の復活が必要との考えだ。本来なら、福間委員や水野委員らと共に当座預金残高目標の引き下げを提案すべきではないかと思う。ところが、5月19、20日の会合では「また書き」の賛成。引き下げは提案していない。この行動から推測される同委員の政策スタンスは「金融危機対応は依然必要。しかし、市場機能も過度に殺したくないので、“また書き”を支持」といったところか。または「金融危機対応は不要だが、減額は引き締めとみられるため提案しない。しかし、市場機能は多少は生かしたいので“また書き”を支持」なのだろう。前者なら、技術論者の技術的対応、後者なら期待形成を重視する技術論者の技術的対応。うーん、後者の方が矛盾している。ところで、「また書き」によってどれだけ市場機能が生かされたのか。日銀には説明責任があるのではないかなあ。

 次に、月間現代の「福井総裁『屈辱の大敗北』-独立性はいまや風前の灯火」では、最後の方で「今回のケースが問題なのは、決定会合直前の『ブラックアウト』期間中のトップ会談が『一般的な意見交換』と言えるかどうか疑問が残る」と独立性に関連して問題提起がなされていた。
 「ドラめもん」氏(http://www.fpeye.co.jp/fpeye/fpeye.php?fid=7)も指摘されいたことだが、ブラックアウトルールと独立性は直接は関連しない。ブラックアウトは、決定会合の二営業日前から「金融政策についての話はしない」という日銀内部の取り決め。日銀法上の規定ではない。また、対官庁・国会は適用外(のはず)。だからブラックアウト中でも国会に呼ばれる。現実的にみて、日銀が二営業日前から外部と一切の接触を絶つ、というのも変ではないかと思う。天変地異の出来事が起きて、政府が緊急対応として日銀の協力を必要とするとき「ブラックアウトです」と断わるのはおかしい。
 問題とすべきは、「ブラックアウト中の接触行為」ではなく、「接触行為の中身」。中身が記事にあるように、福井総裁が谷垣大臣に「“また書き”を政策転換の一歩と位置付けたい」と要望し、それを拒否された、という事実が本当かどうか。私はこの件は分からない。
 なお、個人的な感想だが、福井総裁の要望内容には日銀としてのメリットを見出し難い。政策転換と位置付けるなら、減額しないと合理的でない。いわゆるタイトニングバイアスを出す行為となるが、そういうことをすれば市場は将来を解除を織り込みにいくわけで、だったら減額した方がいいと思うのだが、どうだろう。
by bank.of.japan | 2005-07-09 15:40 | 日銀 | Comments(0)
<< 明日から決定会合=景気判断、半... 日銀版ベージュブックの愛称 >>


無料アクセス解析