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やはり「予め決められたゼロ金利」だった印象=99年2月の決定会合議事録
 少し前のエントリーで触れた99年2月12日の金融政策決定会合議事録。やりとりは相変わらず面白いのだが、議論の展開を眺めるに、予めゼロ金利にしようと思ってそうしたのではないか、という印象を受けた。まあ、あの当時も「こんな未知の政策をいきなり決められるもんじゃないので、執行部は前もって検討済みだったのだろう」と思っておったのですが。ポイントとしては以下のところであろうか。
・金融政策の意見表明順 中原伸之委員→篠塚英子委員→植田和男委員→藤原作弥副総裁…
・中原、篠塚の両委員は持論展開。植田委員、冒頭から緩和論の口火を切る。すかさず藤原副総裁が同調。
・藤原副総裁、金利動向を見極める必要性を指摘しているのに、いきなり論理を飛躍させて「さはさりながら」と緩和論に向かう。
・藤原副総裁が緩和論ということは、執行部(速水総裁、山口総裁)も緩和派。この時点で大勢の流れが決まる。
・武富委員、さすがに躊躇したのか「(景気や市場の)評価と緩和方向のアクションは今一つ整合的でない」と態度をいったん留保。その後、賛成へ。
・いきなりゼロ金利にジャンプする面々を眺めて、かねて利下げ派であった中原委員が皮肉交じりに以下の突っ込みを行ったところが面白い。
中原委員 「最初から中原案を採用してもらっておけば良かった。私はそうしたステップバイの案を主張していた。一気にゼロまで飛ぶというから無理がある」
山口副総裁 「いや、これは全く飛んでいない」
速水総裁 「飛んでいない」
・レポオペ積極活用という意味不明なアピールに対する中原委員の突っ込みもまた面白い。
中原委員 「レポ・オペというのは、なぜこれだけ取り出すのか」
山口副総裁 「先ほど申し上げた理由である」
中原委員 「政治的配慮か」、「何か唐突で、政治家目当てという感じする」
・あれほどゼロ金利への忌避感を示していた速水総裁はこのときは積極的に利下げをまとめようとしているように見える。
・執行部の説明が用意周到。山本企画室参事(現在は理事)はゼロ金利というワンダーランドを「順序立てて説明させて頂く」とあたかも検討・整理済みであるかのように解説している。まあ、ありとあらゆる事象を目から鼻に抜けるように答えるのが企画官僚の責務であり、もしかしたらいきなり浮上した未知の政策の全貌がその場でパッと分かってしまったのかもしれないが、どうなんでしょう。謙ちゃん(山本理事)、凄いね。
・山下金融市場局長の説明も利下げのガイダンス的なところがあり、これも検討済みのように感じた。
 手続き論としては、いくら執行部が前もって策を用意しても、政策委で決められるかどうかは不明なので、ゼロ金利はこの会合で決められたと理解するのが正しい。ただ、古参の市場関係者には周知の事実だが、当時は運用部ショックにあせった政府・与党は猛烈な圧力を日銀に加えていた。水面下で何かあったのかは、歴史の闇に閉じ込められるのだろうが、まあ何かあったのでしょう。
 歴史にイフはないが、このときこらえていれば翌年のゼロ金利解除の失敗もなく、ひいては量的緩和への突入もなかったかもしれない。しかし、この場合は時間軸政策の発見もなく、量的緩和も実現せず、危機に直面する現在の各国中銀に参考となる政策もなかった。この会合、近代金融政策史の分岐点になったと位置付けられる。

お知らせ EURO SELLERさんが白川総裁をテーマにした動画をアップしております。こちらです。お楽しみください。
by bank.of.japan | 2009-08-06 20:55 | 日銀 | Comments(4)
Commented by asd at 2009-08-06 21:35 x
この辺のやりとりは中原伸之氏が憤り交えて著書にしてますよね。
個人的に率直に思うのは、今も昔(この速水総裁時代)も日銀のお偉いさんの考えはよくわからんということです。まあ中にいたらいたで色々あるんでしょうけど。
Commented by EURO SELLER at 2009-08-06 23:15 x
動画のご紹介,多謝であります。うちのブログはサーバーの限界かいつになくつながりにくくなっております。(笑)
まあ,この時期のゴタゴタが故速水さんの歴史的評価を下げているのは確実ですね。白川総裁が福井さんの最後の量的緩和強化に抵抗なさったのも市場機能重視の総裁の見方とこのときの失敗が念頭にあったからなのでしょうか。
Commented by bank.of.japan at 2009-08-07 00:34
asdさん、どうもです。まあ、色々あったのだろうと推測されます。

EURO SELLERさん、どうもです。振り返ると、色々な思いはありますが、紆余曲折を経て今の日銀がある、ということでしょう。10年後はどうなっていることやら、です。
Commented by PK at 2009-08-07 09:02 x
失敗の始まりは、大蔵省の驕りです。
税収のために資産バブルを放置し、目的を達した後に引き締めを行った。
これに国外からの政治的な円高圧力が持続したために、判断に迷いがでたんです。
当時は、円安政策が正解でした。
米国民主党が偽善で極悪だというのは変わらない評価ですがね。
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