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速水氏の思い出
 速水元日銀総裁が亡くなった。哀悼の意を表したい。
 速水氏が総裁として在任した「速水体制」は、金融&プルーデンス政策の凝縮した5年間であった。ゼロ金利、量的緩和、時間軸政策、株式の買い取り。水面下では非伝統的手段(質的緩和)が議論され、取材ネタはテンコ盛り。何か起きて日銀が何かやるたびに、知識が新たに蓄積されていく日々であった。最近話題の銀行券ルールができたのもこの時代。お陰で日銀B/Sから見るオペ(&政策)に土地勘が持てるようになった。
 その後の福井体制、そして現在の白川体制。政策をめぐって色々と議論されたが、多くは速水時代の大いなる決断の後日談のようなもので、某幹部いわく「速水体制の遺産で食っている」わけだ。バブル崩壊に見舞われた各国中銀の政策論が古参金融マンに概ね理解できるのも、速水時代の経験があるため。その意味では我々の知識の源泉となった時代である。速水体制は金融政策史上、評価されていくのではないかと思う。
 個人的な思い出。
 「強い円は国益である」が決まり文句であったが、これは原則論としては正しく、速水氏が信念としてそう思ったのは、敗戦を経験し、その後の難局の通貨政策に直接関わってきたからであろうと思う。インタビューの時、通貨の話題になった瞬間、本当に火を噴くようなオーラが放たれた。もちろんデフレと強い円は相反するのだが、通貨論を語るときの速水総裁は経験を踏まえた迫力があるので、原則論として心打たれる。IMF8条国への移行とか、我々には遥か昔の出来事を知っているのですから…。個人的にも敗戦から復興期は非常に興味深いと思っておりますので、真剣に聞いてしまいます。
 会見では以下のエピソードが記憶に残る(2000年8月)。
「大学一年の時、1945年に、私も甲種合格で召集を受けた。ちょうど5月25日は東京が大空襲で、私の家にもずいぶん焼夷弾が落ちたが、たまたま私がいたものだから火を消すことができた。それで水を被って若干風邪を引き、熱があるところに召集令状が来て、名古屋の守山というところで、砲兵隊に入隊した。守山から少し山の中へ入ったところで、教育隊から教育を受けていたが、入ったばかりなので馬の世話などをやらされており、当時は小学校に宿泊していたが、そこで昼、天皇陛下のお言葉を聞いた。(私は)幸い海外に行かないで実戦は空襲を経験しただけで、助かったが、私の兄が──これも銀行員だったが──主計中尉だったと思うが、結局病気になって1943年に戦病死してしまった。そんなこともあって、家は残ったが、終戦になって私が大学のキャンパスに帰ってきたら、大学の中はコペルニクス的な転回で、色々な動きが活発になってくる。家の中では長兄が死に、次の兄も、海軍の技術将校だったのだが、終戦の翌年に父と一週間違いで亡くなった。やはり、戦後の精神的な痛手もあっただろうし、食べるものもなく、非常に苦しい生活であったのだと思う。結局、男手は私ひとりが残り、母と妹とどうやって生活していくかということで、結局、少しでも早く大学を出て稼がなければならないということで、1947年10月に大学を出て日銀に入った」
 一万田時代を知る日銀マンですね。

「平時の円売りは国売りである」。発言のTPOはともかく、通貨政策の基本理念として名言。

参考 白川総裁は速水時代中盤の企画審議役(局長)、山口副総裁はその後任。中曽理事は信用機構課長、早川理事(大阪支店長)は調査統計局の重鎮。雨宮企画局長は当時は企画課長。こんな感じの布陣でありました。感慨深い。
by bank.of.japan | 2009-05-18 21:24 | 日銀 | Comments(15)
Commented by EURO SELLER at 2009-05-18 21:32 x
速水執行部は中原さん以外は,バーナンキにジャンク扱いされましたが,現在の金融危機の出口が見つかったあとにどういう風に歴史が再評価されるか楽しみです。結構,イメージが強烈で難しいかもしれません。
Commented by bank.of.japan at 2009-05-18 21:52
EURO SELLERさん、どうもです。意外なのは、中原さんの主導した量的緩和が各国に浸透せず、一気に質的緩和にFRBも含めて突入したことでしょうか。これも速水体制の経験が踏まえられたことだとすると、政策論史としては興味深いところです。
Commented by Ph.D Candidate at 2009-05-18 22:23 x
僕の場合は、金融政策決定会合が制度として確立する場に、故会って
最も近い場所におりました。あの微妙な執行部配置が今後どの様な評価
を受けるのかが、最も興味がある所です。
これからの金利政策では、速水総裁が判断を誤ったとされる金利上げを
繰り返さない最適なタイミングが、最も重要だと思うのです。
Commented at 2009-05-18 22:39 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 通行人 at 2009-05-18 22:47 x
福井総裁も利上げのタイミングを誤ってましたがね。
Commented by PK at 2009-05-18 23:27 x
私は、企業の資金繰りをやっていて、円高の直撃を食らいました。
別の系列が吹っ飛んだので、強烈な経験でしたね。
下請けの手形を割引いたり、企業信用のことを学んだ。
おかげで貨幣のことが良く理解できるようになった。
インタゲ派の為替介入はあの時やるべきだった。今の中国のように。
企業や家計が適応できない状況を容認するのは、政策として間違いだと思う。
1999年に別の掲示板で、非不胎化という言葉を作った。
二重否定で馬鹿っぽい造語でしょ? 僕が高卒だから。
だって、お金を市場に溢れさせる政策なのに、胎化ではイメージがおかしいんだもの
インタゲは今はやってもダメだなと思う。為替介入ができる政治環境でもないし。定額給付金と国債買いきりがベターだなと思う。

それから、米国民主党は絶対に信用しない。
Commented by ぽんぽん at 2009-05-19 00:56 x
速水さんの通夜に行った者です。弔辞では、速水氏が著書やエッセーなどでよく使っていた聖書の「土の器」という言葉と「calling」という言葉が引用されていました。政策の評価にはいろいろありましたが、信念の人であったと改めて思いました。
Commented by bank.of.japan at 2009-05-19 01:18
Ph.D Candidateさん、どうもです。なるほど。近いところにいらっしゃったのですね。金融政策史としてはエポック的な時期であったと思います。今後の出口政策は肝要でありましょう。

非公開さん、どうもです。いろいろな人材がいるので、今後どういう人物が出るのか、ウォッチしていきたいと思います。

通行人さん、どうもです。そういう見方もなされるタイミングであったと思います。

PKさん、どうもです。不胎化の否定で非が付くと思います。

ぽんぽんさん、どうもです。汚職事件、揺れる組織、金融危機、デフレ不況。あの難局は信念ないとやりきれなかったと思います。
Commented by キュン at 2009-05-19 01:22 x
「ゼロ金利解除に踏み切ったから景気が腰折れした」
これは結果論なのでしょうがないと思いますが
今回の危機でも欧米もこれと同じことを繰り返すんじゃないかと懸念しています
まだ危機の入り口で出口政策がどうだの金利を正常に戻したいだの
議論するにはまだ早すぎる気がします
結局景気が上向いてきたところで金利上げて失われた10年をきれいになぞるのではないかと
欧米中銀がどのタイミングで金利上げに踏み切るか非常に興味を持ってます
Commented by EURO SELLER at 2009-05-19 02:14 x
>キュンさん
When will Fed get off zero? No time soon
ttp://www.marketwatch.com/story/when-will-fed-get-off-zero-no-time-soon
Commented by 通行人 at 2009-05-19 15:45 x
>「平時の円売りは国売りである」
これ、日銀総裁が言うと独立性の侵害にならないのかなぁ・・・

というか、為替の名言はどうでも良いので、金融政策の迷言を。
クルーグマンは若い頃政策の現場に入って、「偉い人は自分の発言の
意味を全く理解していない事がわかった」と書いていたけど、そんな
もんなんでしょうねぇ。
Commented by bank.of.japan at 2009-05-19 22:35
キュンさん、どうもです。私も個人的には欧米の出口論は早い気がします。ちょっと不安ですね。

EURO SELLERさん、どうもです。情報ありがとうございます。

通行人さん、どうもです。通貨政策では踏み込んでいるかもしれません。
Commented by Cru at 2009-05-19 23:31 x
人は、利益が望めるときは確実性を選択し、損失が危ぶまれるときは投機的になる。らしい。
出口政策ってのはどっちなのかしらん。インフレの損失? 景気の過熱?
中央銀行にとってはいずれ不利益でしょうかね。
現状バイアスってのもあったっけ。


速水氏に関してはすると敗戦時の体験が強烈な参照点になったわけですね。
Commented by 30兆円 at 2009-05-20 18:13 x
敬虔なクリスチャンでも有名でしたよね。G7などに参加されても、宿泊先のホテルでは、資料に目を通されているのかと思ったら聖書を読まれていたとか。クラッシックもお好きでしたよね。車も珍しい色のベンツだったかと。
Commented by bank.of.japan at 2009-05-21 00:54
Cruさん、どうもです。これからの各国の出口は容易ではないと思います。本当に難しいですね。速水氏の原体験は強烈なのは確かかもしれません。

30兆円さん、どうもです。聖書を読んでいたのは速水さんらしいところだと思います。車の件は知りませんでした。
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