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やっぱり「願望リポート」でしたか…
 本日は日銀「展望リポート」の発表であった。本業では先週、「従来のシナリオを維持する、来年度の見通しも維持する、という楽観的な内容だと『願望リポート』になるんじゃない?」という記事を書いたのだが、やっぱりそうなってしまいましたね(まあ、そうなると思っていたのだが…)。
 「展望リポート」の実物はこちらをご覧になって頂くとして、私がマニアな視点で気になったところや、それに対する感想は以下の通り。
・「全体として」、「均してみて」、「概ね」、「…ながらも、…である」、「長い目で見て」、などとボカシ用語(私の言い方です)が多い。もともと日銀文学は断定系を避ける(後から突っ込まれないように)性向が強いのだが、何だかボカシがやけに目立つ感じである。ボカシはある種のヘッジであり、これが多用されることは、シナリオの揺らぎを意味しているのではないか、と思った。
・「第二の柱」から「経済情勢の改善が足踏みするような局面が考えられる」との文言が消えた。その代わりに「(海外経済&国際資本市場に)変調が生じた場合には、日本経済も影響を受けると考えられる」が入った。感の良い人はお気づきであろう。「今足踏みしてるじゃねえかあ」と言われないためだろうし、「影響を受ける」と漠然とした表現にしておけば突っ込まれにくい。
・「第二の柱」に「経済情勢の改善にもかかわらず、物価が上昇しない状況が続く可能性もある」との一文がまだ入っている。「第二の柱」とは、「長期的な視点を踏まえつつ、確率は高くなくとも発生した場合に生じるコストも意識しながら、金融政策運営の観点から重視すべきリスク」である。経済が改善して物価が上がらないのは国民的にはとても良いことである。それがどうして「リスク」なのか。この点を疑問に思う市場関係者は多いであろう。考えられるのは、国民にはいいことかもしれんが、「俺たちが利上げできないだろ」という日銀にとってのリスク、であろうか。そうなの?
・極めつけは、利上げペースがスローダウンしたことの説明(釈明、弁明?)が入ったこと。具体的には「現実の政策対応は、物価上昇圧力が弱い中で余裕を持って行うことができた」(太字は私によるもの)という部分である。そうですか、余裕があったのですかあ。この「余裕」という用語、実は二年前の展望リポートに使われている。二年ぶりの復活である。しかし、利上げできなかったことをシナリオの揺らぎのせいにせず、「余裕」という心理描写に用いる言葉でかわし始めたのは一体どうしたことか。①日銀文学が日銀純文学に昇華しつつある②従来の官僚用語で対応できず、単に煮詰まった③政策運営が本当に心理的世界に入り込みつつある-どれでしょうかね。
 この言葉、霞ヶ関官庁で使われるケースがあるのか、興味があるところ。余裕を持って予算を組めた、余裕を持って国債発行を計画できた、とか。状況がまずくなりつつあるときの日銀文学(レトリックの駆使法)、結構面白いです。このまま利上げできずに来年春の「展望リポート」を迎えたときが楽しみ。景気、良くなるとイイね! 某氏さん、漆黒の闇から抜け出たときの明るさは天国でありましょう。

ps 日銀企画参謀の仕事はある意味で「言葉の発見」(幹部)でもある、という。言葉が真に人の心を打つなら、参謀冥利に尽きるのだが、得てして「撤退→転進」みたいなごまかしのレトリックになりやすい(ロジックのごまかし含む)。例→「量の増大は緩和、量の引き下げは技術的対応」。中にはこれが天才的にうまい参謀もいて、それはそれでその技が口から飛び出す様を「楽しむ」というウォッチの仕方もある。とか色々書きたいが、これは長くなるので別途エントリーを立てましょう。
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by bank.of.japan | 2007-10-31 22:03 | 日銀 | Comments(6)
「no news is good news」と言えたら…=妄想です
 「みなさん、今日はニュースがないです。良い一日でした。では、さようなら」-。ニュース番組がアナウンサーのこの一言で終わり、残った時間は風景をバックに音楽が流れる。新聞なら一面トップに「今日は目ぼしい記事はありません。紙面も少なくしました」と断り書きが入れられるなら、マスコミの有り様も随分と変わるのではないかと思った。
 引き続きマスコミについて(妄想モード)です。「報道」という分野に限ってだが、「量」に応じて報道時間&紙面を日々自由に増減させられたら、無理にニュースを大きくしようとして誤解を招いたり、偏向しているのではないか、と疑われることはかなりなくなるのではなかろうか。ハト(記者)がマメ(ネタ)を食う本能は変わらないにせよ、マメへの飢餓感は薄らぐように思う。
 「事件」は、日々平均的には起きてはくれない。得てして集中しやすく、何も起きないときは起きない。集中したとき、幾つかのニュースを次の日に回すとかできればいいが、起きたものはその日のうちに記事にしないといけないのが現実の姿である。
 民放の収益構造は詳しく知らないので、ここでは新聞メディアに限るが、その購読料は一定である。これはニュースの多い日も少ない日も均したうえでの「金額」であろうと考えられるが、可能であるならニュース量に応じて購読料を増減させられればいいのだろう。忙しいときはコストもアップする一方、暇なときはコストは下がる(ただ固定費の下限はある)。
 問題は、マスベースで伝えるべきニュースは実はそう多くはなく、もっと少ない紙面で十分間に合う可能性が高いことだ。この場合、購読料&広告料の減少は必至であり、多くのメディアは経営が成り立たたなく恐れがある。そういう事態を防ぐために給与など固定費を可変にすれば、無給で耐え忍ぶ日々が多くなるわけだ。
 毎日、コンスタントに紙面を埋める(or報道時間を埋める)ために、ハトが懸命にマメを探し回る必要性が薄れたら、世の中はかなり静かになるようにも思える。また、社説も毎日出ているが、これとて毎日論じるほどのテーマはないのかもしれない。まあ、そうなったら結果として多くのハト(私も含めて)は、ハトであることを止めないといけない。
 ニュース量に応じた「課金」は妄想の領域だが、現実的には新聞を読む人はかなり減ってきており、この構造変化の方が現実味を帯びた危機である。妄想しても現実も見ても、マスコミ業界の先行きが厳しいことに変わりはない。

しばらく前に「good night, good luck」という映画を見た。印象に残ったのは、マッカーシズムと戦う取材陣に対し、社主が「(硬派のジャーナリズムは)儲からないんだよ」と言った場面であった。これはこれで経済関係の報道では思うことがあるので別途取り上げます。
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by bank.of.japan | 2007-10-30 20:49 | マスコミ | Comments(9)
「マスコミ」と「格付け会社」の共通項は予定調和かも…
 マスコミについて幾つかの論点が思い浮かび、どれから書こうかなと思っていた矢先に、ある読者から興味深いエントリーを紹介して頂いた。さっそく使わせてもらいます。紹介してもらったのは、三宅秀道さんのブログ、「福耳コラム」の「他人の判断への信頼」である。詳しくはご参照頂きたい。
 私としては、取材活動の一端が垣間見えたところが非常に面白く、それ自体に幾つか論点があると考えているのだが、ここではまず紹介してくれた読者の方が指摘した「格付け会社との相似性」について考察してみたい。
 まず、このエントリーで紹介されたマスコミの行動パターンを一言で指摘するなら「予定調和にはまった」ということであろう。ある情報が紹介され、それが反響を呼び、似た取り上げ方(ネタの調理法)が広がっていくと、ネタはともかく調理法(ここではプロジェクトX型と呼ぼう)が重視され、プロジェクトX風に見えるニュースが盛んに報じられる、という循環になる。
 この循環に入ってしまうと、それに逆らうことは難しい。パターンの定着は、それに乗っかる方が無難だし、逆張りの報道(または取り上げない)はとてもリスキーなことになる。実際にそれが一般の方々の間で人気化しているように思われたら(実際にどうかは別。そう見えるだけで十分)、万人ウケを狙うマスコミとしては全体が予定調和的に流れていかざるを得ない。
 さて、格付け会社である。昔、「格付け機関」と称されていたが、私は「機関」と呼ぶのに違和感があった。「機関」は公共・中立的なイメージがあり、格付け会社は利益を追求する民間企業に過ぎないからだ。また、そもそも「デフォルトの確率」など絶対的なものではなく、相対的なものであり(と私は思っている)、状況によって変わり得るものだろうと思う。
 マスコミが、これは万人ウケしそうだ、という報道スタイルにはまる構図と、ある金融商品が人気化していき、それを格付け会社が追認していく構図は似ている。その金融商品の中味(orニュースネタ)がどうあれ、ウケてしまう(売れてしまう)と、それには逆らい難いのである。孤立無援で逆らったにしても、それで得られるメリットはほんどない。
 三宅さんは「経済マスコミの行動は『評判が評判を呼ぶ』サイクルに巻き込まれざるを得ない」と指摘されていらっしゃる(経済に限らない)が、それはまあそういうものである。マスコミはマスの受け止め方を気にし、そこから逃れられない。格付け会社も似たようなものではなかろうか。投資家に人気化している商品を、そんなものクズだ、と格付けしていいことは何もない。
 最近、英会話教室のNOVAが紙面を賑わせている。私はそんなに大きなニュースなのかな、という印象だ。少なくとも経済(or産業・企業)ニュースというよりも社会ニュース(一般への知名度がある)であり、でも人々はそんなにNOVAに強い関心があるのかな、と感じる(もしかしたら関心が高く、詳細を知りたいのかもしれないが)。どちらかと言えば、マスコミが「これはウケるニュースである」と思って報じ、みんなが報じるから「予定調和」みたいな取り上げ方になっているのではないか、と見ているのだが…。

ps なお、「予定調和」の報道が行われているとき、人々が本当はどう受け止めているのかは別な論点であろう。意外に気にしていない、軽く受け流しているだけ、かもしれない。数百万の読者像は曖昧とし、私にはイメージできない。この点も含め、当エントリーを取っ掛かりにして幾つか論点を書いていきたいと思う。
 でも、情報を操作しようと思えば、ある状況においては簡単ですね。または報道の流れを作る、といったらいいのだろうか。「入れ食い」、さぞかし気分良かったのではないだろうか。
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by bank.of.japan | 2007-10-29 22:29 | マスコミ | Comments(23)
ハイパーインフレ懸念を煽った商法(円天)と財務省の借金時計
 昨日か一昨日だったか、NHKがニュースで円天問題を取り上げていた。何気に見ていたら、主催者が「お金(の価値)が減らないように物をあげているのだ」と抗弁している場面があった。この問題、電子マネー詐欺と言われているが、ある面で通貨価値の下落懸念(インフレというよりハイパーインフレなんでしょう)を煽って、物を買わせる商法でもあったのか、と思った(うたい文句の一つに過ぎないかもしれないが)。
 一般的に投資詐欺は「儲かるよ」と人々の投機心を煽って金を集めるケースが多い。つまり、お金が増えるイメージを植えつけるわけだ。この点、円天は逆であり、「お金の価値がなくなる」との不安を煽って金を集め、独自の市場で物を買わせる方法を取っていたのですね。ニュースでは、円天の活動再開を伝えており、商品の販売会場から出てきた人にインタビューしていたが、一人が袋から取り出したものはギョーザなど日常食品であった(たぶん高い買い物)。
 気の毒ではあるが、主催者を信頼しきっているようで、通貨価値が暴落する前に物に替えられて良かったと思っているのかもしれない。現状、物価はCPIペースはわずかながらマイナスで、まだデフレ的な様相を残している。にも関わらず、お金の価値が減ることへの不安を煽られた人がそれなりにいるのは、「財政危機」がよく言われるからではなかろうか。
 財政情勢についてここでは論じないが、私が前からちょっと気になっているのは、財務省が結果として財政危機をあおっているような印象を与えていることだ。ホームページの財政健全化ゲーム(絶望感味わう)とか、財政を家計に例えた解説(これも絶望的)とか、そして借金時計とか。大分前、財務省の知り合いから「借金時計を掲載したのでよろしく」との連絡をもらったのだが、財政当局が財政危機あおるようなことしていいのかなあと内心ちょっと思いましたよ。
 ところで、借金時計まだ停止中のようだ。アクセスの負担が理由となっているが、やっぱり危機をあおってはいけない、との判断も多少はあったのですかね。気になります。

ps 円天は「円転」(円を物に転換する)じゃないかな、と思った。
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by bank.of.japan | 2007-10-26 22:45 | その他 | Comments(10)
賞味期限切れ問題で心配なこと
 賞味期限や品質表示の偽装がいろいろと問題になっているが、私が個人的に心配しているのは、神経質になった小売店が期限切れ商品を店頭から回収し、廃棄してしまうことである。もちろん、改ざん・偽装はあってはいけないことだが、マスコミの取り上げ方はやや過剰ではないかな、という印象を持つ。こういうとき、得てしてリスク回避的な行動が取られがちなのがわが国の風土で、期限切れ商品が店頭から消えかねない。
 あくまでも改ざん・偽装がないとの前提だが、期限切れ商品は価格を思いっきり下げて売って欲しい(近くのスーパーはそうしている。私は下げ方が足りない、と思っているが・笑)。手間はかかるかもしれないが、期限切れ前から弾力的に下げていって欲しい。私は自己責任原則で買います。リスク・リターンの関係から言えば、期限が切れた瞬間に値が下がるとした場合、その瞬間に味ないし品質が下落するわけではないので、その商品は買った方が得である。
 よくお惣菜などが閉店間際に安くなる。お店によっては時間経過に伴って値引率も上げるところも多いだろう。これはよいシステムであると評価したい(値下げの瞬間は何だか感動である。変ですかね)。私は、値下がりに伴って味も落ちるはずはない、と思っているので、もちろん閉店間際の最安値を狙いにいく(結構、競争は厳しい)。
 上記のことは、金融市場におけるジャンクボンド取引の醍醐味に似たものがあるんじゃないかと思う。みんなが価値がないと思って叩き売られたボンドを安く買う、特にただ同然で買い、アップサイドを享受できたら至福であろう。まあ、食品の場合はアップサイドはないですが…。安く買えたという満足感だけです。
 お店の方々、期限切れ商品、どうか回収しないでくださいね。

ps ところで、世間一般的には賞味期限というのは超関心が高いのだろうか。マスコミが事件だ事件だ大変だ大変だと騒いでいるのだという印象なんですが。どうなんでしょう。
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by bank.of.japan | 2007-10-25 22:12 | 経済 | Comments(10)
「食品値上げ=エンゲル係数上昇=生活条件の悪化」、そして私の対処法
 答えは「ダイエットを兼ねた節食」であります。
 まず、食品値上げの影響である。総裁会見では、体感物価の典型例である食品値上げをネタに「インフレではないか」と詰め寄る向きもある(利上げをそそのかす質問)。もちろん、所得が伸びない大半の方々には、これはスタグフレーション的であり、生活レベルの低下を意味する。もとより、中小・零細企業の多くにとって原材料高は「交易条件の悪化」なのだが、これが家計レベル(生活条件の悪化)で起きているわけだ。
 たまたま第一生命経済研究所から「エンゲル係数から見た食品値上げの影響」というタイムリーなリポート(10月16日付)が出ている。こちらです。筆者は、経済調査部の永濱利廣氏。永濱さん、ちょっとお借りしますね。
 「家計調査によると、エンゲル係数がこのところ上昇傾向にある。(略悪)家計の収入が増える中で食料費も増加しているのであれば、エンゲル係数の上昇を生活水準の低下と一概には決め付けられない。しかし、このところの雇用者所得(=就業者数×一人当たり賃金)は一人当たり賃金の減少により上昇幅を縮小させている」
 「結果としてエンゲル係数上昇は、食料品価格の上昇に伴い家計が食料費の支出増を余儀なくされることで、食料費以外の出費が抑制されるという家計の厳しい姿を反映したものと考えることができる。(略)マクロ賃金の低迷が続けば、更なる生活水準の低下を示す形でエンゲル係数は上昇を続けることが想定される」
 私の置かれた生活条件からすると、この通りである。これに対処するには「節食」しかない。ただ、単に腹を減らすのはさびしいので、「ダイエット」という前向きの動機を自分に付与することにしている。たまたまメタボ警報が出ていたこともあり、エンゲル係数の上昇を阻止する節食は好都合でもあった。
 偶然ながら、ろじゃあさんもダイエットに取り組んでおられたが、実は私もそうだったのである。二ヶ月ぐらいですかね。やり始めて。この間、体重の10%前後を失いました。しかし、体というのは経済の需給ギャップとは違ってカロリー需給ギャップの変化に敏感です。(運動などで)カロリー消費を増やす一方、節食で吸収を減らして生じたネットのマイナスは効きました。
 ちなみに、ズボンのウエスト出しは限界にきていたのだが、おかげで余裕が生じ、ズボンを買わなくて済んだという意味で衣服代の節約にもつながった。もっとも、これを多くの方が実行したら、内需セクターの低迷が強まるのは確実。
 食品値上げ→インフレ→利上げでしょ、という発想には少なくとも私はついていけない。グローバル経済から隔離された内需経済圏(経済分断)にとって今起きつつあるのは供給ショック的な現象でありましょう。
 しかし、腹が減るのはやはり侘しい…。
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by bank.of.japan | 2007-10-24 19:30 | 経済 | Comments(11)
ブラックマンデーの再来は…=ないとは思うが、良く分からない(追記あり)
追記 「王儲け」は「大儲け」の変換ミスですが、ウケてしまいました(笑)ので、修正する野暮はやめて、そのままにしておきます。

 本日は、前週末の米国市場の流れを受けて株急落・円急騰、債券は反発となった。ブラックマンデーからちょうど20年が経つため、「歴史は繰り返すのか」と不安な気持ちにもなるが、実際のところはどうなるかは良く分からない(もし分かるなら、王儲けして残り人生は優雅→夢想)。
 それはさておき、文字通りに歴史が繰り返されるなら、(日本の場合は)ブラックマンデー級の株暴落が起きた後、再び株が急騰。そしてバブルが本格化し、弾けていく、というパターンである。20年前のブラックマンデー直前、日銀は金利の高め誘導(その後に利上げを予定)に動いていたが、株暴落で誘導を断念。低金利は長期化した。今も似ていると言えば似ているが、当時とはいろいろ様相が違う。
 まず、日本経済にバブルが起きるほどの活力は感じられない。部分的に地価は急騰しているが、それも最近は沈静化しているとの声も聞く。日銀は当面利上げは見送る(私の勝手な予想)だろうが、だから何?で、経済は鳴かず飛ばずの中、単に0.5%の金利が続いていく、だけかもしれない。
 不安要因はやはり米国であり、サブプライム問題がどの程度深刻なのか、住宅市況の悪化で米経済がリセッションになるのかどうか、が焦点。例のシティ主導の救済スキームはきな臭いのだが、金融の緩和余地は大きく、またFRBの機動的対応は市場で好感されやすいので、まあそう酷いことにはならないだろう(と期待したい)。
 最悪なのは、救済スキームがうまくいかず、経済の悪化が予想以上となる中、ドルの信任が崩れること。米国が激しくトリプル安になると、相当に酷い事態になるのは間違いない。この点、私としては、世界的になお運用(or投機)圧力が強く、米経済&市場が調整色を強めれば、どこかで運用資金が入ってくるのではないか、と楽観しているのだが…。
 まあ、投資というのは、「儲かるという期待を持てるか持てない」で流れは簡単に変わる(何かの弾みで波が引くように投資機運はしぼむやすい)。今やってはいけないのは「投資ファンド」への過剰な規制であろう。
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by bank.of.japan | 2007-10-22 21:12 | マーケット | Comments(22)
日銀プルーデンスの存在、BOEが証明したかも…
 日銀プルーデンス(金融機構局=旧考査局)はしばらく前まで存在感が希薄で、内部では「いらないんじゃないか」との声もあったが、最近はやや風向きが変わり、存在感は増している。これは自ら増したというより、プルーデンスウィング(部局)を切り離した英中銀(BOE)がノーザンロックで苦労したため。
 英国は、かなり昔にBOEのプルーデンス機能をSFAにくっつけ、金融監督・監視はFSAに一元化した。この結果、BOEは個々の金融機関ではなく、金融システム全体を見るようになっていた。当然ながらノーザンロッククラスの金融機関の経営事情など全く把握していなかった(その任務にない)はずで、しかし流動性危機が起きてツケだけは払うことになった。
 こういうのを見てしまうと、日銀としてはプルーデンス機能はやっぱり自分で持たないといけない、という意識が強まるわけだ。対外的にも、ノーザンロックの事例を教訓にプルーデンス機能を保持する必要性を訴えることが可能だ。
 やや細かい話をすると、プルーデンス機能は「考査」と「オフサイトモニタリング」に分かれる。前者は資産内容のチェックで金融庁検査に限りなく近い。ただ、行政権限はなく、取引先との契約に基づいて行う。後者は個々の金融機関の資金繰りの把握が主たる任務である。
 個人的には、考査は金融庁に持っていってもいいかな、と思ったりする。もし私が考査マンだとした場合、行政権限を背負ってやった方がやりがいがある、と想像されるためだ。逮捕権のないお巡りさんより、逮捕権のあるお巡りさんの方がいい、というわけだ。
 では、日銀プルーデンスは資金繰りを重点的に監視するればいいのか。これは金融庁と日銀の分業体制がうまく機能するかどうか次第である。ある金融機関が流動性危機に陥ったとき、ソルベントかどうかの判断は金融庁が行うが、日銀としては時間稼ぎに特融が使われるリスクを感じるかもしれない。まあ、分業するなら相互信頼が重要となる。
 世界的に金融システムがなお不安定な状況にあるため、当面の間は、日銀のプルーデンス機能は維持されるだろうと思う。ただ、中長期的には微妙だ。検査と考査は似たようなものに見えるし、公的部門の効率化論が強まると、プルーデンス機能の切り離し案が浮上する可能性はある。金融界としては、二重チェックは負担なので、効率化は歓迎というスタンスであろうか。




SFA→FSAでした。失礼しました。
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by bank.of.japan | 2007-10-19 19:00 | 日銀 | Comments(15)
共同債権買取機構を思い出した=サブプライム支援基金
 報道ベースから受ける米サブプライム救済基金の印象なのだが、何かに似ている、と思った。公的資金は入らない、民間による創設、塩漬け資産の隔離。おぉ、「CCPC」(注)みたいじゃないか。つまり、「共同債権買取機構」のことを思い出してしまった。
 言わずもがなだが、金融システムを安定させつつ、不良債権を迅速処理する一番の方法は公的資金の投入だ。政府が不良債権を簿価で買えばいい。だが、公的資金=税金なので、選挙民(&マスコミ)は激怒し、政治的には超ハードルが高い(住専国会ですね)。多かれ少なかれ公的資金を投入するなら、金融機関をつぶす、経営者を牢屋にぶち込む(かつてのS&L)、といった儀式が必要だ。
 米国の場合、ただでさえ格差超拡大となる中、儲け過ぎ批判もあったファンド(&関係の金融金融機関)を下手に救うわけにはいかない。案の定、基金には公的資金は入らないようである。裏を返せば、①抜本処理ではない(時間がかかる)②救済スキームを作らないといけないほど事態は深刻、という印象を受けざるを得ない。
 また、害債さんも書いておられるように、問題は基金による債権の購入価格で、これが市場実勢を上回ると限りなく“飛ばし”のスキームに見えてしまう。不良債権問題を知る金融関係者はそう思われるのではなかろうか。
 まあ、どの国も市場原理を標榜しつつも、いざとなれば一時しのぎのスキームをひねり出すものなのだろう。わが国はかつて不良債権を早く処理しろ、と散々批判され、G7では長きにわたって問題視された。米国は批判の先鋒でしたね。庭先で住宅バブルが破裂し、サブプライムで金融システムが動揺したのを見てしまうと、米国ですらもあの手この手を使って不良債権処理に時間をかけた日本の手法がいいように見えるのかもしれない。
 いずれにせよ、サブプライム支援基金の今後の展開が注目されますね。公的資金の影がちらつき始めると、チトやばいかもしれん。

注 CCCP→CCPCでした(すいません)。
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by bank.of.japan | 2007-10-17 21:25 | 金融システム | Comments(16)
1円玉は増産されていたのですね
 しばらく前に1円玉のネタを取り上げたが、足元では増産傾向にあるのですね。気がつかなかったです。まず、平成18年(年度か暦年か不明)までの製造データは造幣局の「貨幣に関するデータ=年銘別貨幣製造枚数(その2)」に掲載されている。それによると、平成17年は3002万9千枚、18年は1億2959万4千枚。一方、財務省の「平成19年度貨幣製造計画」では2億枚となっていた(3月に発表されていた!)。
 増産されたのは、もちろん需要があるからだろう。1円玉のコストは2倍以上のはずで、造幣局としては2億円分作ると2億円以上のロスが出るのだが、まあ需要があるのだから作らないとしようがない(ロスはその他貨幣のシニョリッジで十分カバーされるが)。
 電子マネーは普及しつつあるが、貨幣を減らすほどの効果はまだ出ていない。理由としては、①小売店などいろいろな決済場面でまだ1円玉が使われている②財布やタンスの中に滞留している1円玉が多い(流通量が意外に少ない?)-などであろうか。貨幣が決済場面で活躍するのは造幣局(&財務省)としては収入源になるので有り難いことだが、金融機関や店舗にとっては貨幣の管理コストがかかるので、なるべく電子マネーに吸収された方がいいのかもしれない。
 ところで、電子マネーが極度に発達して貨幣不要となれば、造幣局はなくなるのですかね。記念硬貨を出す程度の規模に縮小するのかな。まあ、今のところはそういう事態になりそうな感じはないですが。


ps 余談ながら、私はコンビニなどではなるべく1円単位まできっちり払いたいタイプである。従って、家には溜まった1円玉はない(と思う)。机の中にもない。1円玉流通にはまあ貢献しておりますね。造幣局さん、私のような存在はありがたいでしょ(笑)。
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by bank.of.japan | 2007-10-16 21:55 | マスコミ | Comments(6)


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