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展望(願望)リポート、来年度はデフレ脱却=CPIペッグ下での予想行為は
 市場との対話においては単なる雑音でしかない、というのが私の理解だ。本業では一度書いたが、こちらでも改めて解説したい。通常の金融政策はフォワードルッキングが基本となる。つまり、将来起こりうる事態に備えて早めに政策を舵取りするわけだ。これは、政策変更の影響が実体経済に及ぶまでにはタイムラグ(いろいろな見方があるが、ここでは半年から一年半と仮定)があるからだ。インフレになってから利上げしても手遅れであり、今から半年-1年半後にインフレになる可能性が高いなら、今利上げするわけだ。景気が悪くなりそうなときは逆。
 日銀の場合は特殊で、緩和方向に制限はないが、解除は足元CPI(前年比上昇率)が安定的にプラスになるのを確認しないとできない(こうなった理由は省略)。つまり、将来のインフレをどう予想しても、現実に物価がプラスにならないと解除できない仕組みにある。フォワードルッキングに対し、ビハインド・ザ・カーブを約束した金融政策と言える。
 日銀が来年度の予想を行ったのは「強めの見通しを出し、解除を示唆することで出口政策への思惑を温存し、来るべきイベントで市場の過剰反応を避けたい意向がある」(知り合いのエコノミスト)と思われる。だが、足元物価に連動する政策を取っている限り、解除思惑を温存する狙いは叶わない。まず日銀の予想が当たるとは限らない。もともと1年以上先の経済・物価の正確な予想が困難なのは市場関係者の多くは知っており、日銀は既に今年度の物価見通しを外してもいるため、予想は願望に過ぎない。従って、経済・物価に対する見方を市場と共有し、将来の解除を織り込ませようとするのは無理があるのだ。
 そもそも市場関係者の相場観のタイムスパンはかなり短い。日計り筋はデイリー、債券ポートやALM関係者はそれよりは長いが、せいぜい数週間、最長でも中間決算までか(違ったらご意見を)。解除は余程現実味を帯びないと織り込めないわけで、来年度の物価はプラスと日銀は予想しても、今解除するわけでもなし、予想も当たるか怪しく、市場としては反応できない。むしろ目先の株価や統計に左右され、株価が軟調になったり、統計が悪いと日銀の予想などすっかり忘れてイールドカーブはフラット化するだろう。
 私の山勘としては、来年度の予想も外し、日銀は予想ベタであるとの印象が定着。将来フォワードルッキングに戻っても、市場との対話がなかなかうまくいかないのではないか、と恐れている。来年度の予想をするかどうかをめぐっては、政策委員会でも異論があったのは事実のようだ。無理するとろくなことはないのだが。運不運でいくと、日銀の運はあまりよくないので、裏目に出る予感がする。
なお、マーケット関係者に参考まで。
日銀は
・潜在成長率は1%としている
・来年度いっぱい、景気の山は来ない(ずーっと回復基調をたどる)
・来年度のCPI改定は織り込んでいない
・金融システム不安はリスク評価から外した
そうです。
ご意見・感想があればどうぞ。
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by bank.of.japan | 2005-04-28 22:58 | 日銀 | Comments(13)
生産性上昇の暗部=悲惨な鉄道事故で思うこと
 以前、ユニットレーバーコスト(ULC)の低下について、生活の安全上も問題があるのではないかとのエントリーを書いたことがある。同じ思いの方が多かったようで、タクシー事故の経験談など比較的多くのコメントをいただいた。今回の鉄道事故の原因究明はこれからだが、背景的な要因として秒単位で列車運行を管理される運転士の厳しい労働環境などが伝えられる。
 マクロ的に生産性が上昇している場合、それ自体は経済的にはポジティブに受け止められるが、工場での事故が目立つことなど考えると、悪い生産性上昇の側面が大きい気がしてならない。日銀が5年前のゼロ金利解除に先立って「デフレ懸念の払しょく」の定義に関連して、良いデフレ・悪いデフレ論を展開したことがある。この場合、技術革新や流通合理化などに伴う物価下落は良いデフレ、需要低迷によるものは悪いデフレと定義され、当時はITバブルではあったが景気が急回復していたので、日銀は前者の要因が大きいとして利上げに踏み切った。
 これと似たことはやはり生産性の上昇にもあてはまるだろう。理想的には、労働条件は一定の下、技術革新や無駄を削ることで生産性が上昇するのが好ましい。中にはそういう優れた経営を行う企業もあるだろうが、現実的には合理化の逆進性というか、組織内の弱いところ(得てして現場)に合理化の圧力がかかり、表面上は生産性が上がっているような気がする。労働分配率の低下もマクロ的には必要な修正だが、修正圧力は社会的弱者、会社内弱者、年代的には若年層に向かい、希望格差社会を招いている側面が強いと思う。
 政府・日銀は景気は踊り場を抜け出し、持続的成長軌道に乗るとの見通しを示しているが、私がこれに懐疑的なのはマクロ統計上のポジティブな動きが、ミクロ的には事故の多発や労働環境の悪化など社会基盤が弱体化しているように思えるからだ。それとも実は世の中は良い方向に向かっており、私が悲観的に過ぎるのだろうか…
 追記 こんな思いを深めるのも、私の友人である石川さんのコラム「欧州便り」(カテゴリーを参照)も影響している。彼は欧州(デンマーク在住)で為替の仕事をしているが、彼がデイリーの市況にときたま書くコラムをこのブログで紹介させてもらっている。デンマーク人に限らず欧州人の仕事ぶりは日本人からみていい加減、そんなんでいいの、という感覚だが、むしろ個人生活を犠牲にしやすい日本人の方がおかしいのかもしれない。欧州も日本も財政は放漫化(原因は違うが)しているが、生活ぶりがこうも違うのは、価値観の違いを思い知る。国民性の違いだと言ってしまえばそれまでだが、ULC低下が貧乏ヒマなしに感じるのは何か変だ。海外から帰国したとき、電車が時間どおりに運行されているの様子は感動モノなのだが、それを維持するのに安全が犠牲になる面があるのなら、多少運行がずれるぐらいは許容された方がいい。それが許されないほどみながセカセカ働かないといけないなら、暮らしは貧しくてもゆとりがあった方がましなような気がするのだが。
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by bank.of.japan | 2005-04-27 22:44 | 経済 | Comments(0)
財政諮問会議『21世紀ビジョン』=避けられないシナリオ?
財政諮問会議の『21世紀ビジョン』(http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2005/0419/item10.pdf)。躍動する未来に向けて構造改革、財政健全化の必要性を訴えている。それはともかくとして、気になるのは“避けるべきシナリオ”。すなわちサボったらどうなるか、を示したもの。
箇条書きにすると
・人口減少と老齢化に伴って生産活動が縮小
・ただでさえ専門性と独創性に欠ける労働力が基礎能力でも劣化
・優秀な人材が国外に流出し、暮らしが貧しくなる
・家計貯蓄に依存した資本形成が困難になる
・限られた優良企業を除くと国内での資本不足に直面し、投資が停滞
・官への過大な依存が続くと公共サービスの維持が困難化
・将来世代に負担を先送りすると国債発行額が累増、財政の信認喪失
・円の信認も失われ、資本が流出する
・こうした財政破綻による経済危機は避けなければならない
 以下、これでもかこれでもかと悲惨な例が紹介されている。「健全な危機意識を抱いているもらうために、あえて提起する」としているのだが、いずれの例もごもっともうなずくしかないぐらい現実味に溢れている。指摘されてなくても、そう思っている向きが多いのではないか。それにこれらの悲惨例の書き方、妙に気合が入っている印象も受ける。「希望格差社会が深刻化」し、「郊外のニュータウンはゴーストタウン化する」と最後は結んでいるあたり、リアリティあり。
 なお、今後の金融・財政政策の在り方としては、財政が健全化に努める一方で、「安定的なマクロ経済運営を行うための基本は金融政策である」と断定。具体的には「インフレターゲットの導入を検討する」となっていた。やっぱり日銀にツケが回されるわけで。言わずもがな、かな。
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by bank.of.japan | 2005-04-26 01:31 | 経済 | Comments(3)
日銀版“ベージュブック”
日銀が今月から「地区経済報告」の発表を始めた。3ヶ月に一度開かれる支店長会議に合わせて発表され、従来の各地域の報告書を束ねて綴じただけものに比べると、地域比較や景況感の変化などが簡素にまとめられ、見やすくなっている。米地区連銀報告にならって日銀版“ベージュブック”といったものだが、表紙の色はベージュではなく、薄い青。なお、今回は3地域(近畿、四国、中国)が景況判断を若干下方修正した。従来の月報や展望リボートとの整合性をどうとっていくのか見ものだ。例えば、首都圏と地方(トヨタのある東海除く)の格差が広がり、地方は軒並みさえない中で、首都圏が活況の場合。経済活動では首都圏の比重が相当に大きいであろうから、国全体としては景気は良いということも考えられる。仮にそれで利上げとなれば、地方切り捨ての利上げとでも呼ばれるのだろうか。国土の均衡ある発展を支えた財政がますます余力をなくし、地方交付税(財務省の家計簿に例えた項目では“田舎への仕送り”)が削られていくと、ベージュブックにきれいに反映される可能性もある。業種格差、地域格差が広がるときの金融政策運営。舵取りは難しそうだ。
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by bank.of.japan | 2005-04-24 00:47 | 日銀 | Comments(0)
「先手必勝」、そして「読み違い」=福井日銀の中間評価
 迷走する政策論を個別に取り上げてきたが、これまでの経緯をここで改めて整理してみたい。量的緩和の行き詰まった状況をあれこれ揶揄し、批判を加えたところで行き詰まり状態に変わりはないし、一つ一つのエントリーだけでは最近増えつつある読者の方々にはピンとこない面もあると思うからだ。私から見た「福井日銀」の中間評価という形になるかと思うが、改めて疑問点やご意見を賜れば幸いである。
 まず、福井体制になってからの政策運営は積極果敢であった。臨時政策委員会の開催、断続的な当座預金残高の引き上げ、そして資産担保証券の買い取り。いずれも論理の整合性を重んじる日銀事務方が発想する策ではない。当時、有力幹部の一人は「対外的には出来ないと説明してきた策をやれと言われた。担当を替えて欲しいぐらいだ」とあけすけにこぼしていたから、就任直後からの矢継ぎ早な策が福井総裁の主導によるものなのは間違いない。
 なぜ、事務方が抵抗する動きをしたのか。福井総裁は有能なセントラルバンカーなので、政策論理の重要性を知らぬはずはない。それより重要な何かがあったのだ。それは、速水体制で悪化した政財界との関係修復だったと推測される。政財界との関係が何かと対立的に捉えられる構図は好ましくない。政府の議決延期請求権を退けてゼロ金利を解除した速水体制は、その期間を通じて“緩和を余儀なくされる”受身の政策運営だったが、福井総裁はこれを逆手に取り、事が起きると影響を見極めることもせず、先手必勝とばかりに金融緩和を断行。これにより世間では「機動的」というイメージが確立し、福井総裁を任命した小泉政権の顔を立てることが出来た。この辺の計算は見事だと思う。
 これにより、日銀が失ったものは実はそれほどはない。量的緩和は達観すれば微害微益であり、多少マーケットは歪むものの、日銀資産の健全性を大きく損なうものでもない。政策ロジックは失われたが、それを気にするのは日銀事務方、熱心なBOJウォッチャー、資金関係者ぐらいもの。そもそも量的緩和は難解な政策で、国民の大多数や政財界にとっては政策の中味やロジックなどどうでもいいことだ。我々日銀の足元に近い者は小うるさく批判するが、総裁という高次のレベルでは政策判断の方程式にロジックを超越した何かを織り込む必要があるのだろう。
 先手必勝の積極果敢な緩和政策は景気が回復に向かう局面において実行され、結果を問われることがなくて済んだ。理屈付けの難しい政策から抜け出す最良のシナリオは、デフレ脱却に伴って一気に金利政策に復帰すること。昨年前半、中国の旺盛な需要で内外商品市況が上昇し、インフレ期待が台頭したが、当時の日銀の景況感は相当に強気で、前年度終盤には物価がプラス転換し、ちょうど今ごろ量的緩和を解除できるのではないかと読んでいたフシがある。現にある審議委員は「チャンスはそこそこある」と言っていたので、昨年始めの円高配慮としか思えない5兆円の追加緩和も、解除さえできれば問題にならないと判断したのかもしれない。
 結果としてそうはならなかったのが現在の姿だ。5兆円の追加緩和は札割れを招く裏目の結果をもたらし、「緩和」と称して当座預金残高を引き上げてきたことから、今度は引き下げの理由付けに四苦八苦する事態となった。政策論理を重視すれば残高維持にまい進することだが、そのためにオペ期間の延長や国債買い入れの増額など行うと、金融政策は国債管理政策に組み込まれる恐れがある。残高を引き下げてもいいが、景気が後退局面に入ると、引き下げが技術的だろうが結局は引き締めとみなされ、景気後退の責めを負わされる。残るシナリオは景気が持続的な成長軌道に移行し、来年のどこかで物価がプラス転換することだが、そうなるかは誰にも分からない。さて、どうしたらよいか。これが日銀の置かれた状況である。
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by bank.of.japan | 2005-04-22 02:22 | 日銀 | Comments(15)
福井総裁の「技術論」に福間委員が反対!?=謎の解釈
一部金融紙によると、福井総裁が7日の国会答弁で、「当座預金残高引き下げは引き締めではなく、技術的調整であると理解されなければならない」と述べたことに対し、昨年12月から引き下げ論を提唱した福間委員は同意しない可能性がある、という。その福間委員について同紙は「金融システム不安の後退で金融機関が金を欲しがらなくなったのだから、供給する資金を絞っても良いのではないか。福間氏は『量』の減額に正面から切り込み、主張は明快だ」としている。
 技術論者に技術論者が反対する、なぜ? ウーーーーーーーン、と唸ってしまった。福井総裁が述べた引き下げ論も、金融不安の後退で金融機関の予備的流動性需要の低下を理由にしたもので、福間委員の主張と同じである。もしかして政策論と技術論の違いが分かっていないのだろうか。それとも、技術論には微妙な違いがあったりして。例えば時期的な違い。早く言った者勝ちで、後から言った者の技術論は許せないとか。
 まあ、それは冗談として、マスコミの解釈を錯誤させるほど政策委員会の議論迷走があまりに激しい、ということであろう。これが議論迷走はわざとであり、マスコミが幻惑されている間にどさくさにまぎれて量的緩和を修正する日銀の目くらまし作戦の一つだとすると、脱帽物である。

ここで政策委メンバーを適当色分け
福井総裁   技術的兼相対性緩和派(なお本人は無意識かも)
武藤副総裁  国債管理的内心残高維持派
岩田副総裁  「信じる者」の残高維持派
福間委員   為替チック哲学なき技術派
須田委員   短期大好きゼミ的技術派
中原委員   参照値付き残高維持派
春委員     大勢追随検討中派
水野委員   変幻自在の戦略なき選択的技術派
西村委員   モルヒネ“ただ今勉強中”派
(技術派=技術的残高引き下げ派)

以上、みなさんのコメントに応じて必要なら修正。
ただし、ほどほどに…
(既にやり過ぎ?)
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by bank.of.japan | 2005-04-21 17:26 | 日銀 | Comments(15)
西川、岡田両氏の退任=華麗なるALM、そして感慨
 4月19日、三井住友銀行の西川、岡田氏の退任会見があった。私にとって二人は、今でも住友銀行の西川氏、さくら銀行の岡田氏という印象が強く、1997-98年のインタバンク恐慌を経験した身としては、感慨深い会見であった。これまでを振り返った感想を聞かれた両氏。西川氏は「新任の方々の会見であり、回顧談をやると長くなる。遠慮したい」としながらも、最後に感想を聞かれ、「97年秋に三洋証券、山一証券、拓銀、翌年には長銀などが破たん。このときが一番緊張した時期だ。まさか自分のところがそうなるとは考えなかったが、周辺は厳しい状況であり、信用収縮が起きた。これが生涯で一番厳しいときだった」と語った。一方、岡田氏も「つらかったことはたくさんあった。どれが一番か分からないぐらいだ。ここで退任のあいさつをできるのが一番大きな思い出になるだろう」と述べていた。
 私の印象はあくまでもインタバンクからの視点なので、偏りがあるかもしれないが、両行ともALMでは“華麗”なる側面をみせてもらったと思っている。記憶がやや曖昧だが、西川氏は確か全銀協会長として2000年のゼロ金利解除が迫ったころ、「ALMの観点からは…」と銀行トップとして初めて「ALM」という言葉を使って、金融政策変更の可能性についてコメントした(どこまで把握しての発言かは不明ながら、利上げとALMを関連付けて大銀行のトップが語った例は他に記憶がない)。一方、さくら銀行は、流動性預金の根雪部分を長期負債と認識する「コア預金」概念を用いたALM、すなわちスワップレシーブの積み上げという技を見せてくれた。ある意味で、これしかないという収益確保をあそこまで潔くやったのは爽快ですらある。少なくとも90年代後半からは両行ともアプローチは違ったが、ALMを最も駆使するコンビであり、統合後も受け継がれたのは言うまでもない。
 なお、ALM運営の把握は基本的にはマーケット観察とヘッジ会計の分析以外に手はなく、上記はあくまでも推測であることを付け加えておきたい。もとより、ALMのあり方については様々な受け止め方があるとは思うが、現在のマクロ環境下、程度問題はあるが市場・ALM部門に収益を依存せざる得ない状況なのは仕方がないのではないか、と思う。このブログの読者のうち、ALMへの関心度がどれぐらいあるかは今のところよく分からないのだが、いずれカテゴリー化させて取り上げていきたいと考えている。ALMは国債管理政策や金融政策との関係で無視できない存在だと思うので。どうでしょうか。
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by bank.of.japan | 2005-04-20 21:38 | 金融システム | Comments(0)
山口前副総裁講演=重い質疑と応答②
一部マーケットリポートで多少紹介されていた部分だが、質疑の詳細は以下の通り。かなり重い質問であり、会場は静まり返った。質問すると、一瞬沈黙して答えるのが特徴(注)の山口氏だが、このときの沈黙は長かった。

・かつて日銀にいて証券会社に勤める者です。私は日本銀行の金融政策は本来の中央銀行のあるべき姿ではない、との思いから日本銀行を辞める決断をしました。2000年8月のゼロ金利解除は、その後のITバブル崩壊によってネガティブな評価となりましたが、私はあの当時としては(解除は)正論だったと思っております。ただ、その後の世論に対する日本銀行の対応を見ていると、このまま量的緩和にずるずる入っていかざるを得ないだろうと思いまして、導入のしばらく前に辞めました。実際に量的緩和は導入され、当座預金残高の引き上げ、国債買い入れの増額という過程をたどることになりました。そういう中で若手の中央銀行マンがかなり辞めていったというのが実態でした。私がここで敢えて申し上げたいのは、山口さんが先ほどいみじくもおっしゃったように、実際に量的緩和がどういうメカニズムでどういう影響を実体経済に与えるかは極めて疑わしい、という思いが導入当時から副総裁としておありだったのではないか、ということです。ご指摘のように量的緩和がほとんど効果がなかった、ということであるなら、現在の日銀当座預金30兆円(の修正)について、「技術論」あるいは、福井総裁のおっしゃる「相対的緩和論」、つまり同じ30兆円でも景気の動向で緩和度が異なる、というようなもので逃げるとなると、金融政策の本質的在り方からさらに目を背けることになると思う。従いまして、札割れという事態に際して期待したいのは、日本銀行として量的緩和の持つ意味をここで総括する、4年前に導入した時点で見込まれた効果はほとんどなかったという中央銀行としての評価、そして今後の対応というものを正面きって世間に訴えて政策を変更していく。そういう選択肢はあり得ないのかどうか。すでに金融政策の決定の場から身を引かれた立場ながら、こうした対応は今後の日本経済、金融市場にとっても重要なことであり、山口さんのご意見を賜りたい。
 「大変鋭いご意見で…、今のお話を承って私が一番の感想として思ったことは、あなたような方に日銀を辞めて欲しくはなかった、ということです…」
 以下に続いた答弁は、想定問答の範囲内であったが、それが答えられる限界であろう。多分、本音は語れないのではないかと思う。本当は量的緩和に反対であったのに、ぎりぎりのところで賛成に回った。あのとき、山口副総裁が反対に回ると、5対4だったかもしれない。政策運営の建前と本音が大きくかい離していることを象徴する質疑応答であったと受け止められる。

注) 「恐怖の沈黙」と言われており、その間、眉をしかめるので、質問者や説明者は「変なことを言ったのではないか」と焦る。ここで余計な説明など試みると、沈黙が長引き、眉のしかめ方が深まり、さらに焦るという悪循環にはまる。本人は、質問ないし説明の内容を単に咀嚼し、ロジカルに答えようとしているだけなので、沈黙に耐えて答えをじっと待つのが正解。
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by bank.of.japan | 2005-04-19 16:54 | 日銀 | Comments(13)
山口前副総裁の講演=インフレターゲットについて、質疑応答①
4月18日、証券アナリスト協会での講演・質疑応答より
・(マイナスの物価をプラスに押し上げる)インフレターゲット論が最近下火だが、景気が回復して自然消滅したのか。どう思われるか
 「日本経済の現実的な展開が、ターゲット論者の言っていたことを乗り越えたからだと思う。この議論が華やかなりし頃は、デフレが景気を悪くしている、まずデフレを直さないと景気回復はないんだとの前提があった。それと、デフレは日銀の量的緩和で克服できる、大胆に量的な拡張をやればデフレは止まるはずだ、止まれば景気回復が実現するんだ、という論法があった。ところが、デフレだから景気が回復しないというのは、デフレでも景気が回復したので、(ターゲット論者は)息の根がとまったのではないかと思う。それから、日銀がお金を供給すればデフレは止まる、という点も、日銀がいくらお金を供給しても物価押し上げの効果は残念ながらほとんど出てこなかった。こうしたことにより(ターゲット論は)やや現実離れした主張に聞こえるようになった、ということではないか。
 今も残っている議論は、出口から出るときにインフレターゲットを導入するのが有益だ、というもの。これはよく考えるとおかしな話だ。ターゲットとして0から1%、マイナス1からプラス1%と置くならまだしも、ターゲット論者は最低2%は必要だとしている。一方、日銀は消費者物価が水面上に顔を出せば金融政策を転換するわけだが、その局面で高いインフレターゲットを設けてしまうと、出口から出ずにもっと流動性供給を増やすとかしないとつじつまが合わない。従って出口付近でインフレターゲットを導入する、というのは首尾一貫しない議論だと思う」


解説 後段部分はやや分かりにくいが、日銀執行部でも「出口に際してインフレターゲットを導入した方がいい」との議論が一部あった。これは解除すると時間軸効果が外れ、期待の不安定化によって長期金利が急騰する恐れがあり、インフレターゲットがある種の期待安定化に役立つのではないか、という発想。山口氏が言いたいのは、その際にターゲット水準をよく考えないと政策運営がおかしくなる、ということだと思う。なお、この議論を耳にしたのは大分前なので、最近は消えているかもしれない。
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by bank.of.japan | 2005-04-19 12:03 | 日銀 | Comments(0)
この株安、5年前と似てきた感=日銀のジンクス
 私は基本的に経済にはネガティブなので、株安に驚きはない。予想した方向ではあるものの、ネガティブな見方をしていると、予想が当たるのはうれしくなく、むしろ閉塞状態の継続が強まるだけに鬱な気分になりやすい。下のエントリーでも触れたように、ネガティブな見方になる大きな要因は財政状況だが、日銀をめぐるジンクスも無視できない。仮に中央銀行に運不運があるとするなら、日本銀行の運は良くない。運不運はその中央銀行が背負っている国家の情勢に左右されるわけで、日銀の運が悪いのは、根っことしては日本の運が悪いのと同義である。(続く)
 (と途中まで書いて早くもコメントをもらってしまったのだが)日銀はこのようにベースとして運に恵まれない環境においてなお、その判断が裏目に出やすいという二重に運が悪い面がある。不運な中で日銀はなぜか物事を楽観的に見やすい、そしてアクションを起こすと思惑が外れ批判の的になる。ゼロ金利解除のときが典型だった。日銀は本当はもっと早くやるつもりだった。ゼロ金利の導入を年度末の緊急対応と位置付ければ、99年夏の株高に合わせて解除できたかもしれない。ところが、時期はずれ込み、株価が下がり始めて逆噴射解除となった。
 現在も似た感じがある。短観DIの悪化は「謎だ」と言い、妙に楽観する。速水総裁がゼロ金利を嫌がっていたように、福井総裁も量的緩和を嫌がっている。こういうとき当座預金残高引き下げなど無理をすると5年前と同様に裏目に出そうな気がする。従って、日銀が何かアクションを起こそうとするとき、それは報われない、というジンクス。経済情勢が微妙なとき、このジンクスに沿って私は日銀が楽観的だと逆張りで悲観的見方を強める。この勝負、かなり勝率は高いのだが、勝ったとしても経済は不幸になるのでうれしくはない。
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by bank.of.japan | 2005-04-18 15:21 | 日銀 | Comments(8)


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