カテゴリ:金融システム( 44 )
「TARPの世界」になれば…=CCPCは機能しなかったよね
 米国の不良債権買取を軸にした金融安定化法案(TARP)が成立する公算が強まった(今度は下院は通すでしょう)。で、成立すると下のエントリーのコメントでも頂いたように「TARPの世界」に入っていくのだが、それで万事OKかというとやっぱり不安である。日本の経験上、買取機構なるものはあまり機能しなかったからである。
 最近、米国の不良債権買取が現実化してきたせいか、古いエントリーを参考にされる方が多いようだ。「共同債権買取機構を思い出した=サブプライム支援基金」である。ちょうど1年前に書いたわけですね。それからの展開はご案内のように日本の経験の後追いである。ただし、スピードは速い。また、基軸通貨国の金融危機なので、中央銀行の流動性供給は全員参加型と相成った。
 それで買取で問題は終わるのか。古参の金融関係者はうなずかれるであろうが、あまりうまくいかないであろう。①金融機関の体力があるなら不良債権は市場に売却できる②政府が買い取るのは金融機関に体力がなくて市場で売れない、売ると債務超過になる③つまり政府は金融機関が債務超過にならぬように高めの価格で買わないといけない④高めの価格で買えば納税者にまた叩かれる⑤買取条件を厳しくすると誰も売らない-などなど、買取が効果を発揮しそうにない理由は多く挙げられる。
 最後は公的資本の注入までいかないと危機は終わらないのではないか。TARPの世界になってもいろいろ騒ぎが起きそうだ。その間、不動産価格は下落を続け、マクロ経済も悪化の一途をたどろう。恐らくは大恐慌以来の危機になるかもしれない局面に立ち会うのは記者冥利に尽きるのであるが、そもそも職があるのか、という不安も大きいこの頃である。
 一年後はどうなっているのか。願わくばこのエントリーを「読みを外しやがってアホか」と笑っていられるほど世界が安定していることを望む。
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by bank.of.japan | 2008-10-02 23:09 | 金融システム | Comments(14)
人間の欲がある限り…=投資銀行(のような金融)はいつか復活
 モルスタやゴールドマンが銀行化してから、投資銀行の終焉とか言われている。じゃあ、二度と投資銀行(のような金融)は出てこないのか、といえばそうではないだろう。今回の金融危機を経て人々が「儲けたい」という欲を捨てたなら別だが、「儲けたい(orリターンを得たい)」という欲がある限り、いつかまた利益を極大化を目指す金融業は復活する。それが現在の「投資銀行」という形を取っているかどうかは別だが、似たような金融業が台頭してくるものであろう。
 もともと「投資銀行」の収益は市場連動しており、収益の振れはかなり激しい。儲かるときはメチャ儲かり、その一方でメチャ損する。今回はメチャ儲けからメチャ損への変動が激しく、落ち方があまりに激しかったため、リーマンとか(当局のハンドリングミス?もあり)ショック死した。モルスタやゴールドマンはそのあおりでマーケットから危ないと思われ、仕方がないので銀行化というシェルターを必要とした。
 市場経済にはバブルが付き物。古くはチューリップ相場があった。近年ではわが国でアセットバブルが発生した。最近ではテックバブルがあり、そして今回のサブプライムである。バブルが起きる本質は「儲けたい」という人間の欲望があるからではなかろうか。預金は投資とは言わないけれども、元本は維持し、ちょっぴり利息も欲しい、という預金者らの「欲」がある。銀行はこの「欲」を満たす以上のリターンを稼ぐ必要があり、その行動が行き過ぎるとバブルが起きる。
 バブルが起き始める、ないしは起きているとき、「おかしい」とは思っても、現に価格がどんどん上がってみんなが儲かった儲かったと喜び、消費もブームが起きてマクロ的に好調な状態が続けば、「おかしい」という警鐘は正論であっても、かき消されやすい。世の中の目の色が変わった状態では、色の変わらない少数派は異端であり、人は一般的になるべく稼ぐことが義務付けられる以上、目の色の変わった流れに乗らざるを得ない。こういうときの最善の策は、流れに乗り、流れが止まる寸前に飛び降りる(バブルピークでの利食い)ことだが、まあ、そんな芸当は難しいものである。
 欧米金融危機の終息は見えないが、いつかは底を打ち、回復局面に向かうだろう。そのとき、人々が「儲けたい」という気持ちを取り戻し、高いリターンを求めてマネーを動かしていけば、それに応えようする金融ビジネスが活況となり、それを投資銀行というかどうかは別にして、活況が行き過ぎればまたバブルが起きる。そういうものであろう。
 二度とバブルは御免だと思うなら、金銭欲を捨てる必要がある。これは無理でしょうね。いつになっても金融詐欺が横行するのは、ある意味、人々の儲け欲が健在だから。がんじがらめの規制でリターン極大化に歯止めをかけたら…。その時は資産効果による消費拡大は見込めないので、全般に低成長が続くことになる。
 逆説的だが、投資銀行(orそのようなもの)の復活しない世界は経済がパッとしないことを意味する。これを歓迎するのは中央銀行だけかもしれない(苦笑)。
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by bank.of.japan | 2008-09-29 22:17 | 金融システム | Comments(14)
黒い金でも赤い金でも黄色い金でも…=助けるお金が良いお金
 バブル崩壊で窮地に陥った米投資銀行に邦銀が出資する事態となった。今後も同様の動きが予想される。出資を受ける側にとってはやや居心地が悪いかもしれない。まあ何というか、邦銀は投資銀行とは超対極のカルチャーにありますのでね。たまたまアントニー・ビーヴァーの「ベルリン陥落」を読んでいるところなのだが、赤軍に解放されるワルシャワ市民(&ポーランド国内軍)を思い出した。
 邦銀の出資が純投(と私は思うが)にとどまるか、もっと関与するかは、米金融システムの今後のやられ具合いにも依存し、(邦銀が)純投にとどめようと思っても、相手がもっと資本を必要とする事態になってそれに応じたら経営に深く関与することになる。いったんそれなりに多額の出資を行い、途中で増資に応じずに相手が倒れたら全損ですので、突っ込むなら突っ込むなりの覚悟が必要でありましょう。
 邦銀出資がうまくいくかどうかは80年代後半の失敗例も含めて別途論じたいが、マクロ的な観点からは、率直に言って歓迎すべき事態である。バブルが崩壊し、金融システムが打撃を受け、世界市場で信用収縮が起きているとき、これを癒すのは「お金」である。去年から色々なお金が入った。原油で潤った中東のお金、中国のお金、そして日本のお金。金が入る時期の早い遅いはあるが、入ること自体は安定化に寄与する意味では良いことである。
 金がなければ倒れるだけである。倒れると、さらに事態は悪化し、経済は広範囲に打撃を受ける。金融システムと実体経済の負の連鎖が強まっていく。金を出す方、受ける方、いろいろな思いはあるだろう。それはそれとして、黒い金でも赤い金でも黄色い金でも、助ける金が良い金である。
 今は米民間に金を出す局面で、この段階で底打ちして欲しい。そうならないと、最悪は米政府に金を出す事態にもなるかもしれない。まあ日本は円高(ドル安)を恐れるので、機械的に外為特会を通じて金が出る(つまり介入)のでありましょう。出ないと日本も大変なことになるので、この金も良い金である。
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by bank.of.japan | 2008-09-25 22:27 | 金融システム | Comments(11)
長銀粉飾決算の逆転無罪の雑感
 ちょっとタイミングが遅れたが、長銀粉飾決算の逆転無罪についての感想を。とりとめもない雑感ですが…。

ネットを見ていたら、「長銀粉飾決算、逆転無罪 消えた税金、責任どこへ」というヘッドラインが目に入った。いみじくも当時の空気を引きずったものである。税金投入に怒る国民(&マスコミ)、振り上げたこぶしを何らかの形で振り下ろす必要があった。その犠牲となったのが、旧経営陣であろう。

もとより、粉飾を問われた経営陣は、人事的なめぐり合わせで、10年以上前の過剰融資の敗戦処理をやる羽目になった。そんなことは金融界では誰もが知っていて、「タイミング悪いときに経営陣になるというババを引いた」という感想が多かったように思う。これは日債銀の窪田さんや東郷さんも同じで、二人は会えてババを引く(火中の栗を拾う)ほどの善人であった。

先日、当時をよく知る日銀幹部は言った。粉飾を問われたのは「当時の空気だった」と。

バブルが市場経済に付き物であり、その生成と崩壊のマクロインパクトが大きければ大きいほど、金融システムクラッシュの引き金は誰にも引けない。結局は、ゴーイングコンサーンしか選択肢はない、のだろう。マクロ経済現象の結果として生じた敗戦処理にぶち当たった人々に責任を負わせるのは、怒る空気のスケープゴートでしかない。そんなとき、公的資金注入せずに破たん処理したら膨大な公的資金が必要なのだ、と説いても誰も耳を傾けない。

じゃあ本当の責任はバブル期の経営陣にあるのか。これも良く分からない。人は神の予見能力は持たない。地価が上がり続ける局面で、不動産担保融資を伸ばさない「英断」は、バブルがはじけた後で振り返れば、英断だったと誰もが言えるが、その局面で本当に断言できるのか。

長銀は状況の犠牲者だったと思う。

この仕事に就いた初期の頃、どんなにマクロインパクトがあっても問題債権は徹底処理が必要(清算主義)ではないかと思ったものだが、現実はゴーイングコンサーン以外には選択肢がないのだろう。今の米国もそんな感じである。

金融機関経営は基本的にはマクロ連動する。商業銀行は緩やかに、投資銀行は激しく。金融マンがマクロ循環のどの局面をどのようなポジションで迎えるかは運命でしかない。言えることは、バブル崩壊の初期に金融マンとしての人生を終えた人々は本当に良い人生を過ごした、ということだ。
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by bank.of.japan | 2008-07-22 22:48 | 金融システム | Comments(17)
「JUDO」と「柔道」と石井選手=ちょっとした感想
 NHKの特集番組で日本柔道チームの欧州遠征が取り上げられていた。興味深かったのは、石井慧選手の取り組みであった。全日本柔道選手権で棟田選手を破り、オリンピック代表に選ばれた件では、害債さんがエントリーで取り上げている。
 この大会の決勝戦の模様は、後でニュースなどで知ったのが、最初の石井選手への印象は「外人的な取り組みで勝ちにいったのだな」というややネガティブなものだったが、その後は「でも勝たなきゃいけないなら、こういうものアリかな」と思い直し、NHKの番組で石井選手が「(戦い方は)常に変化しており、その中でいかに勝つかを柔軟に考えないといけない」と言っていたのをみて、興味深さが増した。
 日本的な美学では、石井選手のやり方はあまり美しくないのだが、美学とかにこだわらずにとにかく勝つことを目的に世界中から強豪選手が集まる国際大会では、石井選手のような発想を持つことが重要なのだろうと思った。石井選手が番組の中で、イチロー選手の本を手にとり、「(日本のシステムでは)マニュアル化が個性を埋没させ、ひらめきを封じる」という部分を引用していた姿は、ちょっと感心した。
 この辺のところは多分、金融にも通じる部分があるのだろうと思った。日本の金融(特に銀行)は公的制約が強く、国民も銀行は公的インフラの延長線として捉え、まあ経営陣も公的使命を強く意識しているように思う。「公的」というのは、響きはいい(美的?)のだが、収益的にはそれを追求するのがネガティブな印象を与え、でも利益を出さないと批判される、という板ばさみになりやすい。公益に資すると同時に儲けも出すのは難題である。金融はもちろんスポーツではないので、ドライに「JUDO」を目指せばよいのだろう(まあ、批判受けるであろうが)。
 柔道と金融を重ねるのは無理があるけれども、「JUDO」に勝とうとする石井選手には(日本的でないがゆえに)頑張って欲しいと思った。個人的には、もちろん「柔道」としては、井上康生選手の一本にこだわるのがもちろん好きである。

 そういえば「金融士」構想も、美学は全然ないが、とりあえずは「形」にこだわる日本的な風土の特徴をよく表す。金融庁は、金融マンの「黒帯」のような資格にしたいのであろうか。頭の下げ方、口の利き方、条文の読み方、といった細々したことまでマニュアル化されたら、斬新な発想で利益を追求する個性は埋没が加速しそうである。

ps スポーツ観戦はあまりしないが、柔道は比較的見る。経験はなくて、技も良く分からないが、力をうまく利用して瞬間的に勝負が付くところが面白い。一番記憶に残る試合は、アテネオリンピックでの女子柔道、横沢・サボン戦。終了間際の横沢選手の一本勝ちは凄かった。
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by bank.of.japan | 2008-05-07 22:20 | 金融システム | Comments(15)
ゼークト理論で「金融士」構想を考えたみた=「無能な働き者」に仕える「有能な働き者」の構想ですね
 ドラめもんさんのモーニングメモをメールで受け取っている方々はご記憶かもしれないが、しばらく前のメールの枕ネタに「ゼークトの組織論」が使われていた(ドラさん、お借りします)。この組織論、ウィキペディアによれば「ゼークトの説であることを示す証拠はないが、広く一般にゼークトの提唱した理論として知られている」そうなので、とりあえずゼークトの理論として使ってみたい。何に使うのかと言えば、反響が多かった下の「金融士」構想についてである。この構想、日本人の組織観&労働観&価値観を考えるうえでかなり含蓄があって、これから色々と取り上げるかもしれない。「金融士」でカテゴリー作ろうかな(苦笑)。ちなみにゼークトはドイツ軍人ハンス・フォン・ゼークト、「ヴェルサイユ条約の下でドイツ陸軍を再建した中興の祖」(ウィキペディア)とされている。
 さて、金融庁の「金融士」構想である。この案、恐らくは金融庁の官僚がオリジナルで考え出したものではないだろうと思う。なぜなら、官僚は金融最前線の現場は知らないかもしれないが、状況を理解・把握する能力は高く、それなりに問題点は把握しているもの(日銀もそう)。従って、唐突に見当違いの案を出すことはしない。それに官僚なるもの、関係者から「キャハハ」と哄笑されて赤っ恥をかく失態は最大の屈辱と受け止める存在(日銀もそう)であり、みなさんがすかさずブーイング&キャハハ攻撃をした「金融士」構想は金融庁オリジナルとは思いにくいわけだ。
 ちょっとネット検索してみたら、こんなニュースがあった。一部引用すると「渡辺喜美金融担当相はかねてから、金融法務や財務会計の専門家の「金融サービス士」の資格創設を提唱していた」という。やっぱり、である。どなたかも指摘されていたように、トップダウンのプロジェクトであったわけですね。
 「ゼークト理論」では、軍人は4つのタイプに分類される。①有能な怠け者②有能な働き者③無能な怠け者④無能な働き者。それぞれが軍隊のどのクラスに向いているかの詳細は、ウィキペディアをご参照いただくとして、「金融士」構想においては、「無能な働き者」になってしまった大臣の指示を受けて、「有能な働き者」である金融庁官僚らが真面目に実行に移した、というこであろうか。まあ、ついでに「資格制度」が権益確保になればいい、というスケベ心もチラッと生じたのかもしれない。
 ところで、金融士が備えるべき能力は以下の通り。
①金融に関する幅広い基礎知識と特定の分野に関する深い専門知識
②金融業において高い付加価値を生み出すための能力
③法令や会計基準といった制度的制約に関する深い知識があり、コンプライアンスと収益性のバランスのとれた判断ができる能力
 ①と③を満たすのは、まさに「官僚的な素質」ではないですか。従って、肝心の②を発揮する能力はないようにも思えるが…。「有能な働き者」(参謀向き=官僚)は「有能な働き者」を増産していく。すなわち、金融士はわが国金融システムを一段と官僚化していくのではないかと考えられる。これも意見として参考にしていただきたいです。

 みなさん、「無能な怠け者」を目指しましょう。そうすれば「有能な怠け者」(前線指揮官向き)のリーダーが自然に輩出され、わが国金融システムの潜在能力は高まる。後は、制度上・風土上の障害をいかに取り除くかだが、これはハードルが高い。
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by bank.of.japan | 2008-05-02 22:09 | 金融システム | Comments(32)
「金融士」構想への疑問=現場は既に十分優秀であろう(追記あり)
 金融庁が「金融士」構想を明らかにした。こちらである。詳しくは当該ページの「具体的な内容」のファイル(http//www.fsa.go.jp/news/19/sonota/20080430.pdf)を参照して頂きたい。
 当ブログで何度か指摘していることだが、「労働者」としての日本人の質は決して劣ってはおらず、むしろ高い(と私は思う)。「現場は優秀だが、経営がダメ」or「現場が優秀だからこそ経営がダメ」で、これは「実務は超優秀だが、政策がダメじゃん」の日銀をみると良く分かる。
 で、金融士構想である。まず「金融機関の多くは、高度な金融商品・サービスの提供という点で外資系金融機関の後塵を拝しており、また、金融商品取引法施行時の混乱に見られたように、金融監督当局と金融機関、事業会社等の現場との間で、必ずしもコンプライアンス意識の共有が図られていない状態にある」との問題意識がある。
 そのうえで「国際金融センターにふさわしい金融の専門知識やスキルを持った人材の厚みを増していくこと、当局と現場との間で共通のコンプライアンス意識を有する人材を確保していくことが、金融・資本市場の競争力強化にとって最も重要な課題の一つ」として、金融士を育成するわけだ。
 これを簡単に言えば、日本の金融がしょぼいのは人材がバカだから、と言っているに等しい。もっぱら現場の能力不足によって金融が欧米に劣後している、という発想であり、これは「兵を鍛えれば肉弾で戦車に打ち勝てる」に通じるものがある。これ以上資格を取り、頭を良くしてどうしようと言うのか。弁護士、公認会計士、不動産鑑定士、博士、税理士、etc。世の中は既に「士」だらけである。「士」のピラミッドをさらに高くしたいのだろうか。
 そんなことよりも
・通産次官が「デイトレはバカだ」という方が問題だ
・「額に汗して働け」という価値観でホリエモンを有罪にする司法が問題だ
・多重債務者は可哀想だという発想で上限金利を下げてノンバンクを叩き潰したのが問題だ
・過剰な消費者保護で金商法を導入したのが問題だ
・スコアリングモデルを推奨しちゃうような金融当局のセンスが問題だ
・検査で金融機関を「幼稚園児扱いする」(某金融機関幹部)のが問題だ
・金融機関に「非常識な時間に非常識な依頼をする」(同)金融当局が問題だ

 笑ってしまったのは以下の部分である。
「規制当局や中央銀行においても、高度化、複雑化する金融市場に対応できる人材の育成・確保が急務になっている」
 現場をいくら優秀にしても野党が支離滅裂な発想で総裁人事を迷走させたら意味ないじゃないか、と思った。それに、当局の人材をさらに優秀にしても「さよなら絶望官僚さん」が「やっぱり霞ヶ関ゲットーから出ないと迫害を受けるままだな。僕はマゾでも聖人君子でもないし、『たとえ他から何を言われても自分自身が仕事の意義を信じていれば』と思えるほど心が強くはない」とこぼすような職場環境ではスーパーな人材の流出を加速させるだけである。
 金融庁はあまり政治家先生に怒られないのかな…。


追記 みなさん、瞬く間に多くのコメント多謝です。おいおいコメントをお返しするとして、金融庁は「『金融専門人材について (基本的なコンセプト)』に対して意見募集している」ので、当エントリーとコメントを意見として採用して頂ければ幸いであります。担当者殿、どうかよろしくお願いいたします。
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by bank.of.japan | 2008-05-01 21:39 | 金融システム | Comments(32)
問題は「スコアリングモデル」のせいではないだろうに…
 新聞報道によると、金融庁はスコアリングモデルに基づく融資を積極推奨から外す、のだそうだ。
この報道では、「スコアリング」を使ったことで新銀行東京の経営が悪化し、その反省を踏まえて金融庁は推奨をやめた、となっていた。私としてはこれが本当だとは思いたくない。まあ、スコアリング推奨をやめる分りやすい理由を新銀行東京の経営問題に(この記事が)つなげたのだろう。金融庁さん、そうですよね?
 もとより、当該銀行の経営が悪化したのは「モデル」のせいではなく、融資目標達成のために審査がずさんになったに過ぎないはず(設立自体が間違いでもあるが)。「スコアリング」は融資業務における一つのツールに過ぎず、それ自体は万能ではない。使える場合もあるし、そうではない場合もある。そこを見分けるのが経営陣の判断であろう。
 新銀行東京は、スコアリングが融資をずさんにしたのではなく、あくまで経営の強引な目標達成が問題であったと思う。スコアリングはずさんな融資ができるように改ざん(or悪用)された、ないしは正しく使われたなかった、のが実情ではないか。
 記事では、「スコアリングが安易な貸出競争を招き、不良債権の増加につながりかねない」とあったが、「安易に貸出できるようにスコアリングが悪用されかねない」と説明するのが正しい気がする。
 そもそも論として、私は「スコアリング」が地方金融機関のリレバン強化に登場したこと意味が分らなかった。リレバンとスコアリングは最も遠い組み合わせであり、地域密着の融資業務においては、スコアリングの機会的な対応ではなく、融資先の諸事情に応じた柔軟な対応が必要だと思った。まあ、何かしないといけないのでとりあえず響きのよさそうな「スコアリング」をぶち上げたのが実態なんだろう。
 一般的に中小・零細企業はオーナー経営が多いと思うが、会社とオーナーの資産はどんぶりになっており、節税のインセンティブが強いので、会社だけみればあまり黒字がない(財務状況が良くないように見える)のではないかと思う。
 先般、あるブロガー(よくコメントを頂いている方)と飲んだ際、「地元のある会社は赤字だけど、オーナーは山をたくさん持っており、そういうとこに銀行は融資を付けている。地域金融はそれでいい」とスコアリング的な発想に疑問を示していた。私もそう思う。
 スコアリングは使えるなら使えばいいし、ダメなら使わない、そういう経営の自主的判断を尊重し、当局はモデル的な発想をあまり押し付けるようなことはしちゃいかんのだろうと思う。最悪なのは、当局と業界がお互いにモデル導入によって思考停止し、潜在的なリスクの増大に無感覚になる、ことであろうか。まあ、モデルの杓子定規な運用は楽ですがね…。
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by bank.of.japan | 2008-04-03 21:45 | 金融システム | Comments(19)
私が都銀株主ならチャンスと言いたいが…=米銀の支援要請
 既にぐっちーさんがお書きになっているが、私も都銀の株主なら今回の米銀からの支援要請は「チャンスじゃないか」と言いたい。でも、難しいだろうな。リスク取っても失敗したらメチャ叩かれそうな風潮ですからね。サブプライムだって「損失規模はこんなだ!!!!」と叫ぶような見出しが並ぶわけですから…。
 支援内容は、例の米国版CCPCへの出資だが、それに素直に応じるのはもちろん騙されるリスクもあるので、うまく立ち回る必要がある。ただ、先方は頭を下げてきている(はずでしょ?)ので、徹底的に条件を叩くべきだと思う。こっち(邦銀)だって足元見られて不良債権をバルクで叩き売りせざるを得なかったのだから、今度は逆ですよ、当然。CCPCへの出資じゃなくて、「条件次第ではおたくに直接出資してもいいよ」とシティやバンカメ、JPモルガンに持ちかけてもいい。
 問題はその先である。「私の履歴書」で田淵氏が指摘していたように「日本人には外国人を使いこなせない」では話は終了となる。ただ、それでもなおうまく使って欲しいなあ、という淡い期待はある。アングロアメリカン系の金融機関がヘタる機会は今回を逃してしまうともう当分ないのじゃないかと思うし。何かうまい手はないだろうか。私が考えたのは以下の方法。
 ライアーズポーカーのうまい日本人傭兵を集め、ファンド(箱)を作る。そこを経由して金を流す。傭兵が本気になって働くインセンティブを与える。直接支配がうまくいかない場合は間接支配を試みるしかないわけですね。仕組みをうまく作ってきちんとワークするように見張るのは大変ですが。対外的には、オータナティブ投資の一環としてちょろっとハイリスクな投資やりました、でいいのじゃないですか。どうせ国内的には運用難が強まるでしょうから…。
 ただ、「大丈夫なのか」、「いいのか」と行内・行外で騒ぐ奴らは消えないだろうなあ。一番のリスクは金融庁が不快感を示すこと、そして役員が「失敗した場合の株主代表訴訟が怖い」と言い出すことであろうか。まあ、そうなったら内需の低迷と運命を供にするしかないですね。
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by bank.of.japan | 2007-12-12 20:38 | 金融システム | Comments(23)
これは渡辺大臣の一本勝ちでしょう=またも国会ネタですいません
 委員会でのやり取りが面白かったので、紹介します。本日は、小沢民主党代表の会見がマスコミではビッグネタなんですが、こちらはひっそりとマニアックにいきます。
 質問者は金融機関出身の民主党某議員。金融専門家をウリにしているのだが、どうも変な質問であった。ワザとウケ狙い(大衆迎合)しているのかと思ったが、「変」の度合いが激しいので、もしかしたら本気なのかも。具体的には、質問の趣旨は以下の内容である。
・銀行はメガ化していったが、その過程で預金の利息は少なくなった。
・これは家計に分配すべき所得を分配しなかった。ドロボーである。
・メガになると預金利息が減る関係を説明せよ
これに対する渡辺大臣の答え 
一言でまとめると、「デフレでありましたので…」。
ドラめもんさんのところでは、評価がイマイチな渡辺喜美金融担当ですが、このやり取りでは見事な一本勝ち。民主党、政権奪取に向けて頑張って欲しいのだが、日銀も含めた金融関係ネタは「変」な度合いを薄めて欲しいなあ。
※ドラめもんさん、「さん」が抜けてすいません。追加しました。
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by bank.of.japan | 2007-11-07 18:47 | 金融システム | Comments(11)


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